1997年01月30日
平沼駅跡
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横浜-戸部間の高架上に鉄骨だけのドームがある。 これは1945年5月29日の横浜大空襲で 焼け落ちた旧平沼駅のものである。東急併合時代、 電力の節約などの理由で平沼駅は 空襲前の1944年11月20日から 使用休止されていた。
終戦後にはいったん解体が決まったものの、
当時の市長の反対によって戦争遺物として保存されることになった。
現在も鉄骨部分はペンキの塗り替えを行って保存しているとのことである。
しかし、こうした逸話もいつしか忘れられてしまうのではないか。
意図的に戦争遺物として保存していることを示す看板などを、
ホーム上に置かれている保線用品などを整理の上、
設置するべきであろう。ここを通過する電車内から、
判るようにすることが肝要だ。
ところが、やはり老朽化には耐えられなかった。ついに上層構造部(ドーム状の部分)がすっぽり切り取られてしまった。
平沼駅跡 (横浜空襲跡)には、この駅を詳細に取材した記事と写真があるので、是非ごらんいただきたい。
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