1997年05月11日
富岡臨時駅跡
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湘南電気鉄道は1932年夏、「富岡海水浴場臨時駅」として、現在の京急富岡駅の 位置に臨時駅を開設した。地元の有力者「鹿島源左衛門」が湘南電鉄と交渉の上、 常設駅「湘南富岡」として存続することになる。
富岡の地は横須賀軍港に近いこともあり、兵器関連工場が多く 立地することとなった。第二次大戦末期1945年6月10日アメリカ軍は 富岡駅近くの兵器工場をねらって空襲を行う。空襲警報とともに駅に 停車していた電車は駅下のガードに乗客を避難させ、電車はトンネルに 退避していた。結果としてガード内に避難した人々全員と駅付近の住民が 空襲の犠牲になり、駅は全壊、 付近の家屋71戸も全壊全焼した。
戦後、鳥海丘の海軍横浜空挺隊跡地はアメリカ軍が駐留する こととなり、1945年10月1日に、アメリカ軍の要請により富岡駅は この地(富岡2669番地・現鳥見塚バス停付近)に設けられた。 この場所は現京急富岡駅より0.9キロほど杉田寄りになる。
1951年9月、占領解除を受けて鳥海丘にあった富岡臨時駅は撤去され、 旧駅(現在地)の場所に復帰した。
地元「富岡青少年の家 図書部」発行(1967年6月30日発行)の
「富岡抄誌」には「富岡臨時駅」、「旧富岡駅の復帰」として記されている。
(1997-5-11)
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