2004年05月31日

脳は美をいかに感じるか

ある、昔からの知り合いの女性と子育ての話になった。彼女はいろいろある中、自分の子育てを貫くと決めて精神的にへとへとになって落ち込んだ時に、「ある朝起きたら、世の中白黒だったのよねー。」それからしばらく私は白黒の世界で過ごした。こう彼女は言ったのだった。世の中が白黒に見えるとはどういう事なのか。これを考え続けていたときに、ふと書店で目に入ったのがこの「脳は美をいかに感じるか」だった。分厚い本です。3500円プラス税(=3675円)

どんな仕組みで人はモノを見ているか。まず、目はカメラ。そして網膜に写ったモノは実はバラバラにされて脳に送られる。脳内でその波長なり色彩なりを再構成して、画像として「見て」いる。つまり「目」で見ているのではなく、「脳」で見ているのだと。

「脳」で見るためには「訓練」が必要。「訓練されていないモノは見えない。」じつはこの後、まさにこのことを金八先生のロケで武田さんご自身が体験することになります。大航海時代の南洋の島。キャプテンクックとかが帆船で島に乗り付けて、島人にどんなに説明してもその乗ってきた帆船を島人は見ることができなかった。見る準備の出来ていないモノは見えないということ。

さて、「美」はどのようにして脳が感じるのか。
脳は美に逢うと沈黙する=言葉にしない。
言葉にしないとはどういう事なのか?
言葉にしない事で美の本質はどう捉えられるのか?

今、フランスあたりで話題になっているのが「フェルメールの謎解き」。フェルメールの絵には謎が多い。たとえばこの「真珠を量る女」この女性はなぜ天秤を持っているのか。その後ろに「最後の審判」(ミケランジェロ)と思しき画が掛かっているのはなぜか。もしかしてこの女性の持っている天秤は最後の審判の寓意なのか?そういえば、この女性は孕んでいる。もしかしたら聖母マリアを重ねて描いているのか。

事ほど左様に、フェルメールの絵は見ている人を「混乱」させる。それはなぜか?彼女の表情にかげりがあるのは?そして、光源が左にあって、右が闇になっているのはなぜか?フェルメールの描く人物は実は「肖像画」になっていない。影が濃すぎて人物の表情がはっきりしない。というより「脳」が表情を読めない。

この表情の曖昧さは日本のある映画監督を思い起こさせる。

小津安二郎だ。小津の描く人物にそっくり。登場人物の表情を読みとりにくいので、見ている人の頭にはいろんな思惑が渦巻いて、もっと先を見たいという気持ちにさせる。だから、小津はヨーロッパで受けが良いのだ。

そして、美の本質に迫る脳の謎とは何か?
ミケランジェロの「瀕死の奴隷」は本質的に何を表現しているのか?


(2004/05/31~06/04 放送)

Source

cover 脳は美をいかに感じるか―ピカソやモネが見た世界
セミール ゼキ (著), Semir Zeki (原著), 河内 十郎 (翻訳)

Amazonの商品説明より
脳研究とアートをつないだ刺激的な書。近年進展著しい脳損傷事例研究や画像研究の成果を取り込んだ科学的なアプローチで、絵画や彫刻の創作や鑑賞のメカニズムを解析する。著者は、ロンドン大学で神経生物学を専門とする大学教授。1960年代の終わりから、視覚情報処理過程の生理学的、解剖学的研究を続け注目されているこの分野の第一人者である。

3部立て21章という大部の本書で著者は、フェルメールやミケランジェロ作品の魅力の本質である「曖昧さ」に迫り、「形を本質的な構成単位に還元する」ことを追求したセザンヌやモンドリアンの芸術行為を脳科学理論で説く。

もともと芸術鑑賞を趣味とし造詣も深い著者が、自身の研究を美術と結びつけたのは、キネティック・アートの分野がきっかけだった。この分野の代表的作家アレキサンダー・カルダーの動く彫刻作品モビールを、脳内の視覚をつかさどる「視覚野」の機能と照応させながら論じた章は、一般的にもわかりやすく読みやすい。これは、すでに「ブレイン」誌に発表し、反響を呼んだ共著の論文「キネティック・アートの神経科学」を土台に、さらに発展させたものだ。

また、モネの「ルーアン大聖堂」の連作について論をすすめた最後の章では、「速やかに通り過ぎていく印象を描いた」とするこれまでの美術史の定説を覆し、この連作を印象派よりは、フォービズムの最初の作品と位置づけていて、スリリングでさえある。

著者は一方で、未解明な点の多いことも明らかにしている。たとえば「私たちを感情的に混乱させたり、高揚させたりする作品の力とは何か」という、現時点ではまだ未解明の問題がもし脳科学で解明されたなら、コンピュータアートは飛躍的に発展するだろう。そんな期待を抱かせもする。

巻末に付された索引と詳細な引用文献だけでなく、豊富な図版がどれも美しく、つい手にとってみたくなる。脳の科学的な写真までが、いつしか美術作品に見えてきてしまうほどだ。そんな図版の魅力が本書の間口を広げ、脳科学の専門書でありながら、美しい美術の本としても多くの読者に開かれている。(中村えつこ)

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