2004年11月15日
百聞は一見か(その1)
TVの一見はラジオの百聞に勝っているのかという事件
「金八先生」のロケ。
撮影前の準備、荒川のほとりで小豆色のネクタイをしめて、京成線の荒川の綾瀬橋の下、ススキの原っぱで湯気を上げて(笑い)おりました。
朝の登校シーンを土手で撮影。後ろの背景に入ってはいけないものが入ってしまう。救急車・パトカーがあまりにも激しく動いている。あの番組には定番のカットがあって、アングルを変えられない。そこで、スタッフが走っていって確かめてみる。
なんと首をつって死んでる人がいるとのこと。一人でロープを持ったご老人が、終電で電車が止まったあと台風の中、鉄橋の中央にいかれて、なんとそこにロープをかけてつり下がっていた。都会の老人の孤独な死に向かって手を合わせた。
そのうち、片付けも終わり、撮影も終わって、鉄橋の下に戻ってよーーーく考えてみると。かの老人のポイントと、私の立っていたススキの原っぱ、距離約50m。私、全く気がつかなかったんです!!。
全く見えなかったんですよ。同じポイントに立ったんです。50m先には亡骸が見えなければおかしいんですが、私の目にはなかったんです!!
私の目は見なかった。
果たして一見はそれほど正しかったのかという怪談から。
かつて三枚おろしでした話 が自分の身に本当に起ころうとは! 南の島に初めて汽船が来たときに島の人には汽船が見えなかったという話。 脳にインプットされていないものは視覚に入ってきても脳は反応しない。
見るというのは光学的な処理ではなくて訓練して見えるようになるものだ。
メジャーリーグの中継であっと驚くもの。
イチローがボックスに立つと、後ろに日本語の看板が見える。違う選手が入ってくると無くなっている。イチローの時だけ看板を出しているメーカーがある。CGだ。日本選手が出てくるときだけ、引いたり寄ったりしても全てかぶらないように出来てる。
これって、見ることは真実なのか。
近頃の報道はモザイクだらけ。隠すことでしか真実を報道できない。私たちは「百聞」をおろそかにしたために、「あるのに見えない、無いのに見える」という、不思議な時代。我が目を疑うことを思っていないととんでもない時代になってきた。
何か目にまつわる本はないか?
田村 知則 眼が人を変える
「見ると言うことと、視力は同じことではありません。」
視力検査の見ると言うことと、めがねをかけてみると言うことは違うのではないかと気づく。
野球選手2軍の人とつきあっていくうちに いい目と視力が良いとは違うと気づく。
オリックスの2軍の新人ですごくいい人がいる。「鈴木一郎」
イチローは何気ないことをいう「スランプになるとボールの右側を見るようにしている」 これは、左目に情報を入れて右脳に直に情報を伝えようとしているのじゃないか。
立体視 平面に描いてある図形を 最近の高校生大学生は立体視できなくなってる。平面か立体かと見分ける視力が異なっている
TV・CGの影響
どうあがいてもブラウン管に映っている平面。一番良い例が野球。TVカメラの見る能力で映している。
「キレ」るというのはどうもこのあたりの影響ではないか。何もかも平面に見えているのではないか。おそらく、イチローやゴジラ松井はTVを見てない。
Source
眼が人を変える (単行本)
田村 知則
Amazonの「BOOK」データベースより
イチローの眼はなぜよく見えるのか。眼は心の窓というが、心の問題は眼に表れるし、逆に眼をうまく使えば、心の状態もよくなる。イチローの眼のトレーナーを勤めた田村氏は「外の眼」(一般的視力)と「内の眼」(意識内の視覚)という言葉で、眼と心理や行動との関連性を追求し、現代人が忘れかけている眼の本質的な機能を回復させてくれる。パソコン画面に疲れたあなたに健康的な眼と心を取り戻すための必読書。
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