2004年06月28日

いまわたしたちが考えるべきこと

橋本治は「私」と「私達」の関係について考える。「橋本さん、あなたの書きっぷり、わかりにくいですよ!」そう譬えを出さずに理論一本槍で書いているので、すごくつかみにくい内容。これを30日間舞台をやりながら、ホテルに帰って読んでいた。

「自分」の中から「他人」を差し引くと何も残らない人と、残る人がいる。「寂しい人」は近頃日本全体から小馬鹿にされつつある。
「私」を拡張していくことで「私達」が広がっていく構造を持っている。「私」に家族ができる。家族が集まって集落になる。集落が集まって「県」、「県」が集まって「国」、「国」が集まって国際社会となる。これらはみんな「私達」だ。

そして、世界中の争いはこの「私達」同士の争いだ。いわゆる「自分」が無い人はすぐに「我が国は」とか「我々は」とか言い出す。世界平和を願う人と自己中心な人の言行はそっくりになってくる。

今は「私達」というのが崩壊しつつあるのではないか。活字離れというのはそういう私達が細分解して同じ発想や考えを共有していたものが空中分解しているようだ。これはやがて活字からテレビへと波及してくるだろう。

男ってのは「かわいそうな娘」に恋するように出来ている。つまり自分の不幸を自覚することが出来ない。不幸を感じる能力が欠けていて、どんな状況に置かれていてもそれなりに、自分を幸せだと感じることが出来る。そこで不幸に恋するわけだ。これは19世紀から20世紀の左翼にありがちな「貧しそうな、かわいそうな、女性を助けるぞ」ってな坊ちゃんの思想。これは破綻への一本道を辿る。破綻を解消するために結婚してチャラにする。

他人の不幸に接近したがる人がいる。これは自分の不幸がどういう種類かわからない人。あるボランティアの女性が中東の国で拉致されてひどい目にあった後解放されたという事件があった。この解放後この女性が口にした言葉「それでも、あの国の人を憎めないんです。」これを聞いてこのニュースに関する日本のテンションが急速に下がった。この女性の本心は
「日本が私のことを考えてくれても、私は日本を考えない」
これを、敏感に感じ取ったからではないか。

こうした「私達」という発想は今や幻想であったことが明かになってくる時代になった。昔は大きな「私達」、今あるのは小さないくつもの「私達」その小さな私達が世界中で暴れている。
かつて、戦争は外交問題を解決する外科的解決手段として機能した時代があった。しかし20世紀以降戦争は解決手段とはなり得ない時代となった。
ではどうすればよいのか?「私達」の中に答えはない。


(2004/06/28~07/02 放送)

Source

cover いま私たちが考えるべきこと
橋本 治 (著)

Amazonの商品紹介より
 社会の“今”にユニークな視点で物申し続ける作家、橋本治氏が、「私」と「社会」の間に内在する断絶の根本原因を探る書。「私(個人)」は「社会」の一員であるはずなのに、「社会」は一体感の持てない「意味不明の存在」でしかないと説き、日本人の多くが抱く漠然とした不安の構造を、巧妙な論理展開によって解読していく。

 一見、言葉遊びのような軽やかな論調だが、読み進むうちに、今日の教育、年金制度、公共事業投資などの政治的課題の解決を阻むものが、我々一人ひとりの心の内にあることが浮き彫りになってくる。「社会は何もしてくれない」という失意の根底には歪んだエゴイズムが存在し、それが恋人であれ国家であれ、他者と健全な関係を築く行為の障害になっていると語る。

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