1999年09月10日

羽田空港駅跡

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今は駐車場になっている羽田空港駅跡

天空橋  かつて羽田空港という駅があった。 羽田空港駅という名前とは裏腹に空港との連絡機能は皆無であった。

天空橋と旧羽田空港駅跡地=駐車場になっている

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羽田空港駅(旧)
羽田空港駅(旧)
 羽田空港駅は海老取川の土手に面していた。駅前に止まっているのは空港連絡バス。


 現在の空港線はかつては穴守線と呼ばれ、穴守稲荷への参拝のための路線であった。 終点は穴守といっていた。  羽田飛行場は1945年9月24日、進駐軍に接収されて拡張されることになり、稲荷社は移転。 この時に稲荷橋-穴守間は休止。
 穴守線の上り線も同時に接収されて、1946年3月6日、1067mmに改軌されて省線蒲田駅に接続。 物資輸送に使われた。
このときの様子を航空写真で撮影したものが蒲蒲短絡線跡にあるのでご覧いただきたい。
 1952年10月31日に穴守線の接収が解除され複線に復旧。この時に、 休止区間の稲荷橋-穴守間も返還されたが、海老取川の鉄橋以遠は空港の敷地内となり廃止。 それまでの稲荷橋は穴守稲荷と改名された。返還に伴い、 海老取川の手前の位置に羽田空港駅を設けた。 しばらくのあいだ駅前の海老取川を越えて羽田空港へ 伸びる鉄橋跡がそのまま残っていた。

天空橋の銘盤  1963年11月1日穴守線から空港線に改称。
 何度も取り沙汰されては消えていた羽田空港乗り入れが本格化することになり、 1991年1月、穴守稲荷-羽田空港間を廃止。地下化工事を始めた。1993年4月1日地下化工事の第1期部分 「穴守稲荷-羽田」間が開業。このときにかつて海老取川にかかっていた鉄橋跡に人道橋の 「天空橋」が懸けられた。この橋はかつての鉄道橋を摸しているようだ。

 穴守稲荷-羽田空港間の軌道敷跡は民間に払い下げれている。かつての羽田空港駅は 駐車場となり、現在の羽田駅への案内板が立っている。上の橋の写真が天空橋。 側のむこうに見える三角屋根が現在の羽田駅。
 1998年11月18日に羽田空港ターミナルまで空港線が延長される。これに伴い誤乗防止のために現「羽田駅」は「天空橋駅」と改名されることになった。

羽田駅のレリーフ 羽田駅構内にある、穴守線開業当時の車両がきざまれたレリーフ

ループ線の古地図  1906年測量の地図には羽田空港駅跡(旧 稲荷橋駅)付近のループ線が描かれている。
 昭和20年代に編纂された大田区史には穴守線について一項目を割き次のように説明している。

(二)京浜穴守線
 本線は京浜蒲田から、南東に、糀谷、大鳥居、稲荷橋の各駅を経て穴守に達する3.8粁の線であった。明治三十五年六月二十八日、稲荷橋まで開通したが、大正十二年三月三十一日から穴守まで開通した。昔は駅舎をもたない駅もあつて利用者も、羽田方面の居住者と穴守稲荷の参詣者くらいのものであつたが、附近に工場が建つようになり、また羽田の飛行場ができたりしたので利用者もかなり多くなつたので駅舎も作られた。現在、稲荷橋駅、穴守駅間は廃止され、稲荷橋駅を終点としている。京浜急行電鉄株式会社の経営である。

 駅舎にこだわった記述が面白い。また、穴守までの開通を「大正十二年三月三十一日」としているが、これは「大正十二年一二月三十一日」の誤植であろう。縦書きの手書きの原稿を植字の際に間違えたものと思われる。

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