2000年10月30日
大森駅跡
京浜電気鉄道は1901年2月1日、六郷橋-大森停車場間を開通させた。
1904年5月8日、八幡-品川間を開通。(現在の大森海岸-北品川に相当)
この品川延長前後の時点で、「八幡」は「海岸」に改称されている
(1904-05頃、日時不明)。 また品川延長後、大森方面の線路は六郷方面からの分岐を
品川方からの分岐に改めている。 地図は1906年測量とされる陸地測量部の図版で、
この時点の状態を示している。
「大森停車場」駅は現在のJR大森駅東口に接したループ線を持ち、 このループ線内に車庫を設置した。大森延長の目的は省線連絡にあり、 川崎大師、穴守稲荷への参拝客といった波動需要に柔軟に対応できるのは まさにこのループ線+車庫という配置であったと考えられる。
1901年春に撮影されたとする写真にはループ線上に4両が写っているが、
左の2両は連結されており、後ろの車両は附随車で前の電動車に
牽引されているようだ。右手奥の2両も同様と見られるが、
確認できない。春ということであるから大師河原の桜見物の客であろう。
ループ線ならば客の多少にあわせて、臨時に附随車を連結することも、
次々に電車を発車させることも可能である。
現在でも、このループ線跡は大森駅東口の区画にはっきりとその跡をとどめている。
大森駅東口の駐輪禁止区域を示す地図にはこのループ線跡が
くっきり浮かび上がっている。地図上方が京急大森海岸方面となる。
前方、左手にカーヴする道、直進する細い右側の道がかつての軌道跡。
前方、左手に道がカーヴする道。この先で右に大きくカーヴする。
大森海岸駅とJR大森駅を結ぶ道の歩道には大森付近の風物が
タイルになってはめ込まれている。 その中にかつてこの道を走っていた電車の絵がある。
JR大森駅の東口、ループの先端付近は客待ちのタクシーと
違法駐輪の列となっている。画面中央付近の小路がループ線が
戻っていたところ。ループ線内の車庫のあった位置にはビルが建っている。
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