2001年06月28日
議定 22
金があるから何でもできる
人民に自由とは「儂らに従順に従う自由」のみと自覚させる
これまで長々と述べてきたことをもって、朕は、将来、過去、現在の秘密を注意深く明らかにしようと試みたが、残るは近い将来、洪水のように起こるであろう大いなる事件と、儂らと畜生共との関係、その経済関係の秘密に入ることにしようかのう。が、この件に関しては、朕が付け加えることはごく僅かなのじゃ。
儂らの手中には、現代最も威力を発揮するもの「金」が有るのじゃ。儂らは二日間あれば必要な量の金を儂らの貯蔵庫から集めることができるのじゃ。
この事以上に、儂らの支配は神の思召しであることを証明する必要があるじゃろうかの。かような富があればこそ、何世紀にもわたって儂らが重ねねばならなかった悪がすべて、真実の福利を最終の最終にもたらす(万物に秩序をもたらす)為に役立つことが疑いもなく明らかであるじゃろうて。たとえ暴力を用いたとしても、全く同じ結果となるじゃろうて。儂らが引き裂かれねじ曲げられた地球に、真実の善と個人の自由をも回復する大恩人であることを、儂らは証明するじゃろうて。そうすることによって、もちろん、儂らが確立した法をきびしく遵守する限りにおいてじゃが、儂らは地上に平和をもたらすことができるじゃろうて。そうすることによって、儂らは明白にする、自由とは放縦ではないことを、人間の品位とか力とかには自堕落が含まれておらぬ以上に自由とは抑制の利かぬ権利は含まぬことを、良心の自由や平等その他これに類するものは人間の本性にある破壊的な原理であることを万人に公表し、個人の自由とは決して無秩序な群集の前で言語同断な言説を弄して煽動することではないことをの。真実の自由とは、社会の法律には敬虔に厳しく従う人の不可侵性にあること、人間の尊厳とは権利意織に包まれてはおるが同時にいかなる権利意織ももたぬものであること、そして自分勝手な空想を実現しようとすることは決して許されぬことをのじゃ。
儂らの権威は強力なるがゆえに栄光に満ち、支配し指導し、自分では大真理と思い込んでおるが中味は何もない無意味な言説を声高に上げる夢想家に過ぎぬ指導者や弁舌家の後塵を拝するのではなく(正直に話す)儂らの権威は秩序の王冠であり、その中に人類の至福が宿っておるのじゃ。この権威の後光の前では、すべての人民が神秘のあまり平伏し、畏怖の情に囚われるのじゃ。真実の力はいかなる正義にも、神にさえも譲歩せぬ。何人もあえてこの力に近付いて一毫たりとも毀損することはできぬ。
「儂ら」には金があるから何でもできる。神にすら譲歩しない。金の力を使って人民に自由とは「儂らに従順に従う自由」のみと自覚させる。そんな金を集めるのに2日かかる。
(2004/07/01 コメント)
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