2001年06月27日
議定 23
力、力、力の権化
臣民は自分たちとは絶対的にかけ離れた力強い手に対しては、盲目的に服従する
人民を服従に慣らす為には謙遜ということを教え込む必要があり、従って奢侈品の生産を縮小すべきなのじゃ。これによって贅沢を張り合う卑しい根性を改めるのじゃ。儂らは小さな親方製造業を再編成して、個人資本の工業家を倒すという狙いを持っておるのじゃ。大規模の製造業は必ずしも意識的ではないにせよ、政府に反対する考え方を群集に植えつけるので、この処置は欠かせぬ。小さな親方たちは罷業を知らず、既存の秩序にしっかり結び付いておるのじゃ。罷業は政府にとっては破滅的な一大問題なのじゃ。儂らは時の権力を儂らの手に移す時に、この手を使うのじゃ。酩酊も法律によって禁止し、酒の力で野獣に変わる髏l間性に対する罪として処罰するのじゃ。
重ねて述べるが、臣民は自分たちとは絶対的にかけ離れた力強い手に対しては、盲目的に服従するのじゃ。やつらはそこに自分たちを襲う社会的な鞭から守ってくれる防御の剣を感じて支持するのである……やつらは王者に天使の心を期待するのか?
やつらが王者に見たいのは力、力、力の権化なのじゃ。
現存する支配者たちに代わる儂らが至高の君主は、何をせねばならぬか。儂らが意気阻喪させた社会、神の権威すら失墜させた社会、四方八方から無秩序混乱の火の手に包まれておる真中で、支配者たちはその存在を引きずって歩いておるが、儂らが王は何よりもこの燃え上がる炎を消し止める事に身を投じねばならぬ。それゆえに、王は、やつらを王の血の海で溺死させるが、これら現存する社会を根絶せざるをえず、改めてやつらをよく組織された軍隊に復活再編成し、ただれた国家を覆うあらゆる種類の伝染病に対して意織的に闘わせねばならぬ。
「神より選れし者」は、理性ならぬ本能によって、また人間性ならぬ獣性によって動くばかげた力を粉砕すべく天から下されるのじゃ。この力は今は自由の原理という仮面をつけて略奪とあらゆる種類の暴力をはたらき凱歌を挙げておるが、この力が秩序破壊の跡にイスラエル王を王座に据えるのじゃ。じゃが、やつらの役割は王が王国に入ったその瞬間に終るのじゃ。王国の路からは、その残骸の一片すらも残さぬように一掃される必要が有るのじゃ。
その時、儂らは世界の人民に次のように言うことができるじゃろうて。「神に感謝せよ。額に人類宿命の験(しるし)を付けた方の前にひれ伏せ。その験は神御自らが星を導いてその方に付けられたのだ。その方を措いては生来の罪と悪から解き放って下さる方はおらぬ。」
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