2001年07月18日

議定  2

人民の世論を創り出す強力な力

同胞の苦難を敵対するものに直面させてその同情を買う。犠牲は大きいが効果は千倍という理屈

 儂らの目的には戦争は欠くべからざるものなのじゃ。が、できる限り、戦争が領土的な利益をもたらさぬように仕向けるべきなのじゃ。さすれば、戦争は経済に基盤を置くようになり、各国は儂らの支配の強力さを思い知らされるじゃろう。また、当事国は双方とも儂らが国境を越えて放った代理人団の思うがままに操られるじゃろうて。朕は如何なる制約があろうとも、やつらが百万の眼を持っていて監視するから、身動きがとれぬなどということはなかろうて。世界にまたがる儂らの権利は各国の権利を一掃するだろうが、国家の市民法が国民の関係を律するのと全く同じように、普通の権利という意味で、儂らの権利が正確に各国を律するじゃろう。

 儂らが公衆の中から選んだ行政官たちは、奴隷のように従順な資質であるかどうかを厳しく監視され、支配技術に長けた人物にはさせぬ。それゆえに、やつらが、全世界の諸問題を律すべく幼年期より養育された助言者・専門家である学識者と天才の手の内にある駒となるのは容易なのじゃ。諸氏もご存知のように、これら儂らの専門家たちは、歴史の教訓や一瞬一瞬の現実の出来事の観察から、儂らの政治計画に必要とする知識を体得しておる。畜生共は偏見なく歴史的観察を実際に適用することなく、一連の結果に厳しい批判を加えることなく空理空論に走るのじゃ。ゆえに、儂らはやつらに一顧も与える必要もない。時が一撃をくらわせるまで楽しませてやろうではないか。過去の栄光に新しい形を与える希望に生きさせてやろうではないか。古き良き思い出にひたらせてやろうではないか。やつらには、儂らが「科学が説くところでは」(学説)と吹きこんだことを後生大事にいつまでも守らせておこうではないか。儂らが一貫して、新聞を通じて、声を大にしてそれらの学説を盲信させておるのは、そのことが目的なのじゃ。畜生共の知識人たちはやつらの知識にいい気になり、論理的検証を行なうことなく科学から得た知識すべてを信じこむじゃろうて。その知識たるや、儂らの代理人団たる専門家が、畜生共の心魂を手なづけて儂らが望む方向におもむかせんが為に、巧みに断片を寄せ集めたものなのじゃ。

 ここに述べたことは根も葉もないことであるとは、瞬時たりとも考えんでいただきたい。儂らが仕掛けたダーウィン主義、マルクス主義、ニーチエ主義が、いかに功を奏しておるかに注目していただきたいのじゃ。儂らユダヤ人にとっては、少なくとも、これらの指導者たちが畜生共の心魂に及ぼしたことどもを直視すれば、事は明白であるはずなのじゃからの。

 政治上の、また、行政上の諸問題の方向において些細な誤りを避ける為には、各国民の思想、性格、傾向を顧慮することが絶対に必要なのじゃ。儂らの方式は儂らが遭遇する人民の気質に応じてさまざまに仕組の組み合せが案配されるが、もしも現在の光に照らして過去の教訓を集約することを怠れば、この方式の勝利はおぼつかぬじゃろうて。

 今日の国家は、人民の世論を創り出す強力な力をその手に持っておるのじゃ。すなはち、それは新聞なのじゃ。新聞が果たす役割は、必要欠くべからざると考えられることを指摘し、人民の愚痴にはけ口を与え、不平不満を表明し作り出すことに有るのじゃ。言論の自由の勝利が具体的になるのは新聞においてなのじゃ。じゃが、畜生共の国家は、いかにこの力を効果的に使うかについては知っていたためしがなく、したがって新聞は儂らが手中に落ちた。新聞を通じて、儂らはその背後にあって、影響力を行使したのじゃ。ヴァイスマン博士が、儂らが血と汗の大洋を越えて集結してきたにもかかわらず、金力が儂らの手中にあることを知悉しておることは他言を要せぬ。儂らは、あまたの同胞を犠牲にしてきたが、十分に報いられておるのじゃ。わが方の犠牲の一人一人は、神の見られるところでは、畜生共一千人に相当するのじゃ。

 戦争で畜生共の国家どうし相打ちにさせるよう仕向けることで、「儂ら」が漁夫の利を得ることを狙っている。その際「儂ら」の同胞が犠牲になるかもしれないが、それも「儂ら」の支配にうまく利用しようじゃん。ということ。
 また、様々な主義主張が展開し、科学の発展が著しい時代にあって、主義主張や科学は「儂ら」の計画に従って吹き込まれた空理空論にすぎず、単にそれは支配の道具だっちゅうの。(古い-_-;)
 畜生共(ゴイム)とはユダヤ人以外の人間への蔑称。このほか家畜、獣(けだもの)、害虫といった表現も見られる。

(2004/07/01 コメント)

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