2001年07月16日

議定  4

平等思想は自然法則に悖る

畜生共の関心を自由主義すなわち利益追求のみに向けさせ、結局儂らの支配におこうという議

 如何なる共和国もいくつかの段階を経るのじゃ。その最初は、かなたこなた、右に左に攪乱された盲目の群集の狂瀾が猛威を振るってやまぬことから始まるのじゃ。次はデモゴギー、つまり民衆煽動なのじゃ。ここから無政府状態が生じ、無政府状態は必然的に専制に向う・・合法的とも明白とも言えぬ専制、専制の総本山、目には見えず密かに姿を隠し、にもかかわらず目立ってそれと解る、あれこれの秘密組織の手による専制、その活動は幕の蔭であらゆる代理人の背後で働くだけに、手きびしいことでも平気でやるのじゃ。それら代理人たちは交代するので、不当に襲われぬばかりか、秘密の勢力を効果的に助けておるのじゃ。しばしば交代するおかげで、長期活動の報酬が節減できるのじゃ。

 見えぬ勢力というものを転覆する位置にあるのはいったい誰か?

 ここにこそ儂らの特徴が有るのじゃ。非ユダヤ人を入れてあるフリーメーソン員は、儂らと儂らの目標の前に立てられた屏風として隠密裡に活動するが、わが勢力の活動計画は、その所在すら人民には全く謎に包まれたままにされるのじゃ。

 しかし、自由が神に対する信仰や人類愛に支えられ、平等思想と結びつかぬならば無害なものであり、人民の安寧幸福になんら害を与えず、国家経済の中に居場所があってもよろしいが、平等思想は自然法則に悖るものであって、平等思想が一段下の思想であることは動かぬところなのじゃ。このような信仰をもって、人民が教区の保護のもとにあり、地球に対する神の支配に従う牧師の手に導かれ満足して敬虔に歩んでくれるならいいのじゃ。そうでないからこそ、儂らは信仰という信仰をむしばみ、畜生共の心から神の摂理と霊魂なるものを引き離し、代わりに損得勘定と物欲を入れることが絶対不可欠なのじゃ。

 畜生共に考えたり留意観察したりする暇を与えぬ為には、やつらの気持を工業や商業に向き放しにさせねばならぬ。そうしてこそ、国民という国民が利益追求に没頭し、そのあげくにやつらの共同の敵に気をとめなくなるじゃろうて。重ねて述べるが、自由が畜生共の社会をきっぱりと崩壊滅亡せんが為には、投機を産業の基礎にせねばならぬ。その結果、産業が国土から引き出したものは、いくつかの手を通り抜けて投機に手渡される、すなはち、儂らが階級に転り込むじゃろうて。

 他人よりも優位に立とうとする激烈な闘争と、経済生活に加えられた打撃とは、薄情冷酷きわまりないな社会を生み出すだろう、いや、すでに生み出しておる。かように社会は、政治・宗教など高度のものに対する反発を強めるじゃろうて。やつらの生きがいは唯一、利益、すなはち金を集めることなのじゃ。やつらは金があれば手に入る物質的喜びを求めて、まぎれもなく拝金教徒と化すじゃろうて。次いで時至れば、高尚な目的のためでもなく、また、富を得んがためですらなく、ただただ特権畜生共憎しの為に、畜生共の下層階級は権力をめぐる儂らの競争相手、畜生共の知識人たちに逆らって儂らの指導に従うじゃろうて。

平等主義を自然に(もと)ると言いつつ、平等を歌う自由主義を広めようとする一方で、それ自身が崩壊することを期待している。自由主義が崩壊することと「畜生共」が儂らの支配下にはいることが同義として語られている。わずか4番目の議定ですでに支離滅裂。
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