2001年07月11日
議定 9
全世界の国々が拷問を受けておる
儂らが作った鋳型で人民を再教育
儂らの原理を実行に移すにあたっては、諸兄が現に居住し活動しておる国々の人民の性格を考慮していただきたいのじゃ。儂らが作った鋳型で人民を再教育し終らぬうちは、一律に原則を当てはめようとしても成功はせぬ。しかし、慎重に適用するならばものの十年とたたないうちに、最も頑固な人民でも変わり、すでに儂らに従っておる列伍に新しく加わってくるのが解るじゃろうて。
自由主義的な言葉、儂らがフリーメーソンの標語として効果の高い「自由、平等、友愛」は、儂らの王国が到来した暁には、もはや標語としては使わせず、「自由の権利、平等の義務、友愛の理想」というふうに単なる理想主義を実現したものに変えるのじゃ。これが儂らのやり方・・牛は角を捕えよ・・なのである……実際には儂らは、儂ら自身以外のものは、あらゆる種類の支配を一掃したが、法律上はまだ数多くのものが残っておるのじゃ。今日では、どこかの国が儂らに対して反抗を示したとしても、儂らの裁量下、儂らの指導下にあって形式的に反抗してあるに過ぎぬ。一例として反ユダヤ主義は、儂らが下層の兄弟たち[ユダヤ人]を監視するには必要欠くべからざるものだからの。この問題に関してはすでに討議が重ねられておるので、これ以上立ち入らぬ。
儂らの行動範囲には限界を遮るものがない。儂らの超政府はすでに強力絶大な言葉で現わされておる超法規的な状態で存続しておる・・すなはち独裁なのじゃ。朕は衷心からから申し上げるが、しかるべき時に、儂らは法律を作り、裁判と宣告を行うのじゃ。儂らは生殺与奪を実行するのじゃ。儂らは全軍の先頭にあって、指導者の軍馬にまたがるのじゃ。儂らは意志の力で支配するのじゃ。なぜならば、かつて権力を握っていた党派の残党も、今や儂らに屈伏し儂らの掌中に有るのじゃ。儂らの手中にある武器は、貧欲、容赦なき復讐、憎悪と敵意に燃える、果てしなき野望なのじゃ。
儂らから生れるもの、それはすべてを巻き込み行く恐怖なのじゃ。帝政復興主義者、煽動家、社会主義者、共産主義者、あらゆる種類のユートピア夢想家といったあらゆる意見、あらゆる主義の人物たちが儂らの用を勤めておるのじゃ。儂らはやつらを利用して、あらゆる労役を課しておる。やつらの一人一人が、権威の最後の残党まで叩き潰さんが為に、現在秩序を転覆させることに燃え上がっておるのじゃ。これらの行動により、全世界の国々が拷問を受けておるのじゃ。各国政府はもう止めてくれと手すり足すりし、平和のためなら如何なることでも代償に出すからという気になっておるのじゃ。じゃが、儂らは、やつらが心底から儂らに服従し、率直に儂らの国際的超政権を受け入れるまでは、平和を与えるわけには行かぬ。
人民は社会主義の問題を国際的協調という手段で解決する必要を感じて遠吠えを挙げておるのじゃ。ばらばらに分れた党派は儂らの掌中に飛び込んでおるのじゃ。というのは、分立抗争すれば金が要るが、金はすべての儂らの手中にあるからなのじゃ。
儂らには畜生共の王たちのうちの「利口な」勢力が畜生共群集の「盲目的な」力と連合しはせぬかという懸念があったが、そのような可能性に対する打つべき手はすべて打ったのじゃ。両者の間でお互いに恐怖の念を抱かせるという防波堤を設けたのじゃ。このようにしておけば、人民の盲目勢力は相変らず儂らを支持し続け、儂らのみがやつらに指導者を与え、もちろ・・やつらを儂らが目指す目標へと引っ張って行くのじゃ。
盲目的な群集の手が儂らの指導の手から離れぬようにする為には、時々やつらの中に入って直接交流を図らねばならぬ。実際に儂らが自身が行えねば、とにかく最も信頼の置ける兄弟を通じて行う必要が有るのじゃ。儂らだけが唯一の権威者となった時には、儂らはそれこそ市場のような所で親しく人民と話し合うじゃろうて。また、儂らが目指す方向にやつらを向けさせるように政治に関わる問題を指導してやるじゃろうて。
田舎の学校で教えることを誰が点検するのか?
政府や王の特命全権公使が語ることは、直ちに全国に広まらずにはすまぬ。それは人民の声によって広まるのじゃ。
破壊すべき時期でない時に畜生共の諸制度を破壊せぬようにするため、儂らは巧妙にそっと手をかけたのじゃ。そして、やつらの機械を動かしておるバネの端をつまんだのじゃ。これらのバネは精妙にしかも秩序正しく動いていたのじゃ。儂らはそのバネを混沌放従の自由主義に代えたのじゃ。儂らは法律の運営、選挙の管理、新聞、個人の自由を、原理的にはどうにでも加工できる生存物[人間]の土台である教育と訓練というバネを操ったのじゃ。
儂らは、儂らが教え込んだことではあるが、畜生共の若者たちに、儂らには嘘と解っておる主義や学説を注入することによって、やつらを翻弄し困惑させ堕落させてきたのじゃ。
現行の法律については、内容的には変えることなく、単にねじ曲げて反対の解釈をすることによって、結果としては大層な成果を挙げてきたのじゃ。その成果は、第一に解釈が法律を覆い隠すという事実に、次いで立法の錯綜した糸から何かを引き出すのは不可能な為に、政府の目から法が完全に姿を隠すという点に明かに見てとれるのじゃ。
法律を文字に拘泥せずに解釈するという学説は、ここに起源が有るのじゃ。
諸兄の中には、来たるべき時が来ないうちに、もしも畜生共が真相を嗅ぎつけたら、やつらは武器を手にして蜂起すると言われる方もおられるようが、それに備えるにヨーロッパにおいては、最も太い肝玉の持ち主をも戦慄させる恐怖作戦をもって対抗する・・すなはち、決定的な瞬間が来る前にすべての首都に地下鉄道、大都市の地下通路が設けられ、事到ればそれらの首都を建物や書類もろとも空中に吹き飛ばすのじゃ。
都市の地下開発は、そういうもくろみがあったのか..一斉に爆破させて都市を吹っ飛ばすとは!!(2005/09/25 コメント)
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