2001年07月10日

議定 10

群集には一種特別な癖がある

どえりゃあこと仕出かすもんだぎゃ、大胆極まりないでかんわ!

 本日は前の話と重複することから始めるが、記憶に留めていただきたいのは、各国政府と人民は政事のことは上辺だけしか見ないで満足しておるということなのじゃ。実際のところ、どれほど畜生共は、やつらの代表者たちが全力を傾けて楽しませてくれる事の核心を把握しておるのか?

 そのことを細部まで考慮に入れることが、儂らの方針にとっては最高に重要なことなのじゃ。権力の分立、言論の自由、新聞、宗教(信仰)、法の前の平等な結社の自由、財産の不可侵性、居住、徴税(脱税の考え方)、法の遡及力を熟慮するようにすれば、得る所が多いじゃろうて。これらの問題はすべて、直接手を出したり人民の前であからさまにすべきではないような事どもなのじゃ。どうしても直接触れねばならぬ際には、明確に言い切ってはならぬ。現在の法についての儂らの原則的な考えを微に入り細に穿って語ることなく、単にさらりと言ってのけるだけに留めなくてはならぬ。なぜ沈黙を守らねばならぬかというと、原理を明かさねば、儂らは行動の自由を確保しておいて、やつらの注意を惹くことなくあれこれとそらせるが、一部でも明言してしまうと、たった一言だけで何もかも与えてしまったことになるからなのじゃ。群集には一種特別な癖があり、政治力のある天才を尊敬し、そのような人物の悪徳行為に対しては賞賛をこめてこう言う、「ずるいっぺ!ほんとにずるいっぺ。んだば、頭さ、ええがん!..ペテンだばさ。しかし、なんだな、うまいことやりおったん。どえりゃあこと仕出かすもんだぎゃ、大胆極まりないでかんわ!」 儂らは、すべての国々を新たな重要な機構、儂らが練り上げてきた計画に惹きつけることを期待するのじゃ。これが、何をさておいても、儂らが武装し、力を貯え、不退転の意志と絶対的な大胆さを身に付けねばならぬ理由であり、これがわが活動家たちの手で儂らの行手をすべてを粉砕することに役立つのじゃ。

 儂らのクーデターが成功した暁には、儂らはさまざまの階層の人々にこう言うじゃろうて。「何もかもが恐しく悪くなり、すべてが我慢できぬ状態に陥ってますよ。私達は諸君がこうむってる苦痛の原因それは民族心、国境、身分の違いといったものを根絶しつつあるのですよ。もちろん、諸君が私達を断罪するのは自由だが、私達が提供するものに挑戦もしないうちに断罪するとしたら、それはちょっと大胆過ぎるというものではないでしょうか。」……すると群集は儂らを讃え、希望と期待にふくれ上がり全員こぞって手を差しのべ、儂らを激励し、儂らを讃えるのじゃ。人類の一番小さな成員グループにも、グループごとに集会を催させ同意を取り付けてきた選挙という、儂らが揃えてきた道具立てを使って、儂らは世界王の座に就くのじゃ。このような選挙が、儂らの目的に役立ち、最終的には儂らに有罪宣告を下す前に、全員一致で儂らともっと親しくなりたいと望むようになるのじゃ。

 以上のことを確保するには、絶対的な多数を獲得すべく、階級や資格の別なく万人に投票させねばならぬ。知識人や有産者階級だけでは絶対多数は獲得できぬ。このように、自分個人が第一という考えを全員に植え込むことによって、畜生共の家族主義や家庭教育尊重心を粉砕し、癖のある考え方の人間は引き離して一掃してしまうのじゃ。儂らが操る群集は、やつらを第一線に立たせぬし証言の機会すら与えてやらぬ。群集は、従順に応待すれ黷ホ見返りがある儂らの話を聞くことだけに慣らされるのじゃ。このようにして、群集の指導者として儂らがやつらの頭に据えてやった代理人の指導なくしては、如何なる方向へも一歩も足が踏み出せぬほど総員を一大盲目力に仕上げるのじゃ。人民は新しい指導者たちが自分たちの生計、報酬、あらゆる種類の利益になることを握っておることが判るから、この方式に服従するのじゃ。

 政府の計画というものは、一人の頭脳で万端出来上っておるべきなのじゃ。なぜならば、多数の頭で部分部分をばらばらに作らせると、決して確固不動のものにはならぬ。それゆえ、儂らは行動計画を知っておるのは良いが、その巧妙さ、各部分の緊密な連関性、各要点の隠れた意味を破壊せぬようにするには、討議してはならぬ。度重なる投票という手段でこの種の労作を討論し修正を加えることは、邪推と誤解の烙印を押すことになり諸計画の進行と結びつきを妨げるのじゃ。儂らは計画が強力に適切に仕組まれることを欲するのじゃ。ゆえに、儂らは儂らの指導の天才の労作を、群集やあるいは特別な団体にすら毒牙にかけさせてはならぬ。

 これらの計画は現存する諸団体をまだ転覆はさせぬじゃろうて。それらの経済を変化させるだけで、それによって進歩の動きを全体的に結び付け、儂らの計画に従った道に導くのじゃ。

 すべての国々には名前は似たり寄ったりじゃが、内実は同じものが存在するのじゃ。議会、内閣、立法府、評議会、司法府、行政府などなのじゃ。こういった機関の相互機能を説明する必要はないのじゃ。なぜなら諸兄はどれも御存知のものだからの。が、一つだけ注意しておきたいのは、ここに名を挙げた機関は、国家の中ではある重要な役割を担っておるという点なのじゃ。この「重要な」という言葉に御留意願いたいのじゃ。これは機関のことを指しておるのではなく、その機能のことを言っておるのじゃ。これらの機関はいくつもの部分に分れていて、その全体で政府という機能・・行政、立法、司法・・を果たしておる。そこでは、分割された機関は人体の臓器に似た働きをするようになっておるのじゃ。もしも国家機構の一部を損傷すれば、国家は病気にかかり、死ぬことになることは人体と同様なのじゃ。

 儂らが国家機関に自由主義の毒を注ぎ込んだら、その政治複合体全体がある変化を起こし、国家が不治の病い・・敗血症・・に犯され、あとは悶絶死という終焉を待つばかりなのじゃ。

 自由主義は立憲国家を作ったのじゃ。それは畜生共にとっては唯一の安全装置である専制国家に代るものであったのじゃ。よく御存知のように、憲法は混乱、誤解、争論、見解の相違、各党派の実りなき煽動等の一切合切の学校・・一言にして言えば、これら何もかもが国家の機能を破壊する学校以外の何ものでもないのじゃ。「おしゃべり屋」連中の手助けをする護民官は、ほかならぬ新聞なのじゃ。新聞屋は支配者に怠慢無能の烙印を押し、よって無益無用であると断罪したのじゃ。実にこの為に多くの国々で支配者が退位させられたのじゃ。その時であった、共和国時代到来の可能性が見えたのは。その時であった、儂らが支配者に代えて政府の似顔絵・・群集、すなはち儂らが奴隷、儂らの人形たちの中から拾い上げた大統領・・を置き換えたのは。これは畜生共人民の地下に仕掛けられた地雷であったのじゃ。敢えて申し上げるが、畜生共人民の地下に、なのじゃ。

 近い将来、儂らは大統領を責任のある役職にするじゃろうて。

 その時までに、儂らは表向きの役には就かず、儂らの人格なき人形たちに責任を負わせ続けるじゃろうて。権力亡者がだんだん少なくなったとしても、儂らの知ったことではないのじゃ。大統領のなり手が少なくなり暗礁に乗り上げるとしても、暗礁があろうがあるまいが、国家は最後には崩壊に向って行くのじゃ。

 儂らの計画が然るべき成果を挙げる為には、パナマ汚職事件その他のような、過去に隠れた古傷を持っておる候補を選んで選挙に臨む・・すると、そういう連中は旧悪を暴露される怖さと権力を得た者の常で、すなはち、大統領の地位に付きものの特権と名譽を失うまいとして、儂らの計画達成の当てにしてよい代理人となるのじゃ。[フランス議会の]下院は、大統領を選出し、援護し、保護するであろうが、儂らは新法案を提案したり既成法案を修正したりする権限を奪ってしまうのじゃ。というのは、この権限は責任ある大統領、儂らの手中にある傀儡に、儂らが与えるのじゃ。さすれば事の成行きとして、大統領の権威は四方八方から攻撃の的となるのじゃ。じゃが、儂らは自己防衛の手段として、人民に呼びかける権限、代議員たちの頭越しに直接人民に呼びかけて決定させる、すなはち、大統領といえども一員である盲目の奴隷・・群集の大多数・・に呼びかける権限を彼に確保してやるのじゃ。そのこととは別に、儂らは大統領に宣戦布告の権限を与えてやるのじゃ。それには、国軍の長であり新共和国憲法の責任ある代表者たる大統領は、新共和国憲法防衛の際に備え、軍を自由に動かせねばならぬと、説明しておくのじゃ。

 容易に理解されるように、この状況下にあって祭壇の鍵を手中にしておるのは儂らであり、儂ら以外の何者にも断じて立法権を行使させぬ。

 その他に、新共和国憲法を成立させたら、政治的機密保持という名目で政府の処置に対する議会の質問を一切封じるのじゃ。その上、新憲法によって議員の数を最少限に抑え、それに比例させ政治的煽動と政治熱を減らすのじゃ。じゃが、めったに起こることではないとは思うが、もしも最少限に縮小された議会が反抗の火の手を挙げるならば、儂らは即刻全人民という絶対大多数に直接檄を発して議会を廃棄するであろう……大統領は上下両院の議長・副議長の任命が杖となるのじゃ。通常の議会の会期とは異なって、議員の任期を数ヵ月に縮めるのじゃ。その上、行政の長である大統領には、議会召集解散の権限を持たせるのじゃ。特に、解散した場合は、新議員任命を延期できるものとするのじゃ。しかし、儂らの計画がまだ熟成していなくて、実際には非合法の状態でこれら一連のことを全部実行して、なおかつ儂らが立てた大統領に全責任を負わせぬ為には、 大統領周辺の大臣や高官を教唆して、やつらが自分たちの裁量でやったことであり、やつらを身代りにして責任を取らせることで、大統領の責任を回避させる……この件に関しては、儂らは特別に上院、最高行政裁判所、閣僚会議に役割を与えるが、一個人には勧めぬ。

 大統領は、幾通りにも解釈できる法律の意味を、儂らの意図する通りに解釈するじゃろう。大統領はさらに進んで、儂らが廃止の必要を指示すれば、法律を廃止することもやるじゃろう。その他に、大統領は臨時法を、また、国利国益の為にはこれが必要だと言いつくろって、憲法の枠から逸脱した新しい法案すら提案する権限を持つじゃろう。

 かような手を打っておくと、少しづつまた少しづつ、一歩一歩と破壊する力が働いて、儂らが諸権利を手に入れた当初、ことごとくの憲法を気付かれぬうちに無効にさせる為に憲法の中に隠し据え、ねじ込んでおいたものすべてが、儂らの独裁政権があらゆる政体の政府を束ねる日を到来させるのじゃ。

 憲法廃止以前に儂らの独裁者が認められるかも知れぬが、その秋が来ればそれまでの支配者たちの無能無策に・・儂らが仕組んだことであるのじゃが・・業を煮やした人民たちは、大声で叫ぶじゃろうて。「奴らを追放しろ、世界を治めるのは一人でいいのじゃ。おれたちをまとめて争いの種をなくしてくれ・・国境、民族、宗教、国債、そんなものは御免だ・・平和と秩序をくれ、今までの支配者や議員が決してくれなかった平和と秩序を!」

 じゃが、諸氏は完璧に理解されておると思う、すべての国々でこのような叫びを挙げさせるには、すべての国々で、紛争、憎悪、闘争、羨望、さらに拷問、さらに飢餓によって、人間性が疲労困憊の極に達するまで、人民と政府との関係を悪化させることが絶対不可欠であることをのじゃ。これら悪の予防接種を施すことによって、また欠乏によって、畜生共は金銭その他すべてのことにわたって儂らの支配下に入る以外のことは考えなくなるのじゃ。

 ただし、もしも世界の国民にホッと一息でも入れさせるならば、儂らが渇望する時は九分九厘到来せぬ。

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