2001年07月04日

議定 16

社会各層の教育は厳格に制限を加えねばならぬ

頓珍漢な知識が、ユートピアを夢見る人間や不良市民を作る

 儂ら以外の結束力をすべて根絶する為には、集産主義の第一段階・・大学・・を、新しい方向で再教育して去勢するのじゃ。職員や教授連を精密な秘密教育計画に従って再訓練するが、断じてその一部分たりとも免除することはないのじゃ。やつらの任命には格段の注意を払い、一人の例外もなく政府が掌握して配置するのじゃ。

 儂らは全教育課程から政治と同様に法律も排除するのじゃ。政治法律に関しては、予め許された者の中からさらに卓越した人物を選び、数十人という少数の人物にのみ教えるのじゃ。大学はもはや、喜劇や悲劇を書くような積りで法案や計画をこね上げたり、父親たちでさえも理解できなかった政策問題にかかずらわう青二才を世の中に送り出してはならぬ。

 大多数の人間が持っておる政治問題に関する頓珍漢な知識が、ユートピアを夢見る人間や不良市民を作るのじゃ。諸氏は実際の大学教育が畜生共をこの方向に導いてきた実例をよく御存知じゃろうて。儂らはやつらの教育の中に、完膚なきまでにやつらの秩序を破壊する原理を持ち込まねばならなかったのじゃ。しかしながら、儂らが権力を掌握した時には、秩序破壊の種になるようなものはことごとく教育課程から駆逐し、青年を権威に従順な子供にし、平和安寧の希望として統治者を頼みの柱とするように育成するのじゃ。

 如何なる形の歴史研究も皆そうであるが、範を過去に求める古典主義で行くと良い例よりも悪い例の方が多いのであって、儂らがそれに代えるに未来研究をもってするのじゃ。儂らは、儂らにとって好ましくない過去何世紀かの人類の記憶を一切消去し、畜生共の政府が犯した誤ちをことごとく叙述するのじゃ。実際生活、秩序に対する義務、人民相互間の関係、悪を伝染する利己的な実例、その他教育の本質に関わる類似の問題の研究、これらが教育計画の最前線に置かれるじゃろうて。その実施にあたっては職業ごと、あるいは生活状態によって別々にし、教育は決して画一的に行ってはならぬ。この処置は、特に重要なのじゃ。

 社会各層の教育は、それぞれの階層の本質と実際の仕事に応じて厳格に制限を加えねばならぬ。稀に天才的人物が出てうまくやって行くことがあったし、上の階層に滑り込むことが常であるが、このような極めて稀にしか出ぬ天才の為に、生れや職業に特有であるべき階層に、その価値もない人間を入れてやるなどということは、愚行もはなはだしいのじゃ。こんな目に余ることを許した畜生共の社会はどうなったか、諸氏はよく御存知のはずなのじゃ。

 儂らは私学という私学をことごく廃止するのじゃ。教育施設の中では、あたかもクラブのように、親たちとの集まりを持つことは許すのじゃ。休日には、そういう集まりに教師が参加して、人間関係、見せしめの罰則、神の選民ではない者のいろいろな制約等々の問題、とどめには、まだ世界で明らかにされていぬ新たな哲学原理について、課外講義で読んで聞かせるじゃろうて。その原理は、最終的に儂らの信仰に従わせるための移行期の教理として、儂らが提起するのじゃ。現在ならびに将来の行動計画を説明し終えたら、朕は諸氏にその学説の原理をお話しするのじゃ。

 一言にして言えば、何世紀にもわたる経験に鑑みて、人間は思想に生き思想に導かれるものであり、思想というのは人間成長の各段階にふさわしい教育を初め、さまざまな手段によって人間に浸透するものであるから、思想の支配を受けぬ最後の火花を、儂らが押収し呑込み、自分自身のものとして利用するじゃろうて。この、思考力を人間から切り離すということは、過去長い時間をかけて、儂らが導入してきた極めて有益な手段なのじゃ。思考力を抑制する手段はすでに、実物教育という万国博におけるデモンストレーションの方法で実行されておるのじゃ。この方法により畜生共は、目に見えるものだけを頼りにして理解し、物を考えぬ従順な家畜にさせられておる……フランスでは、儂らの最良の代理人である市民階級諸氏が、すでに実物教育の新しい計画を実地に移しておる。

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