2001年07月02日

議定 18

王者の神秘的権威を失わせる

大多数の陰謀家というのは勝負事好きでおしゃべり屋

 儂らが秘密の護衛措置の強化を講ずる必要が生じた際には、見せかけの秩序混乱すなはちうまい弁舌家に協力させて不平不満をぶつけさせるのじゃ。こういう弁舌家の回りにはその発言に共鳴する輩が皆集まってくるのじゃ。それがあまたの畜生共の中から選んだ儂ら側の人員によって、家宅捜査や監視をする警察となるのじゃ。

 大多数の陰謀家というのは勝負事好きでおしゃべり屋であるから、そこで、やつらが明白な行動を起こすまでは、儂らは指一本触れずに、ただやつらの中に監視員を入れるだけにとどめておく……銘記しておくべきことは、陰謀摘発が度重なると当局の威信が失墜したとか、弱みがあるからやっておるんだろうとか、もっと悪いことには不正不法であるとか、余計な憶測邪推を生じさせるということなのじゃ。御存知のように、儂らは代理人を通じて畜生共の王たちの生命を脅かして権威を失墜させたのであるが、この代理人たちは儂らが飼っておる群の中の盲目の羊であって、少々政治色をつけた自由主義的な言辞を弄して犯罪を攻撃すると、たやすく乗せられてしまう連中なのじゃ。儂らは秘密防衛措置を公然と暴いてやって、支配者たちにやつらの弱点を思い知らせてやってきたのじゃ。これによって、権力を打倒する保証をしたのじゃ。

 儂らの支配者は目に見えぬ護衛だけに守られるのじゃ。反政府暴動があるやも知れず、王にはそれを抑える力がなく逃げ隠れておるという考えは断じて与えてはならぬ。

 畜生共がやったように、また、現在もやっておるように、そんな考えをはびこらせたら、儂らの王ではないにしても、とにかくその王朝に対して遠からず死刑宣告に署名しておるようなものじゃ。

 儂らの王は威厳のある風貌の力を国民の福利増進の為にのみ用いるのであり、間違っても自分自身や一族の利益の為に用いることはないのじゃ。それゆえに、この威信が保たれることで、王の権威が尊敬され国民そのものに守られ、市民全員の福利と固く結びついて神のように崇められるのじゃ。まさに王の威信によってこそ、多数の通常生活における秩序すべてが保たれるのじゃ。

 公然と護衛することは、強そうに見える王者の政治組織の弱さをさらすことになるのじゃ。

 儂らの王は人民の中に行くときは常に、見た目には全く偶然そこに居合せた物見高い男女の群集に取り囲まれたかのように見せるのじゃ。それらの男女は王に近い前の方の数列を占め、後の列を制止するのじゃ。他の者は尊敬の念からよく秩序が保たれておるように見えるのじゃ。これは他の場合でもそうすることに慣れるように種を蒔くことになるのじゃ。もし群集の中から請願人が現われて、王に請願書を手渡そうとし列を分けて進んできたら、最前列の者が請願書を受け取って請願人の目の前で王に取り次がねばならぬ。さすれば誰の目にも直接請願書が王の手に届き、王自身が国政を監督しておることが知れ渡るのじゃ。人民が「王様がこの事を御存知だったらなあ」とか「王様が聞いて下さった!」と言えることが、権力の後光となるのじゃ。

 公然たる護衛警察は王者の神秘的権威を失わせるのじゃ。少々大胆さを持ち合わせちょれば、誰でも自分は護衛を自由に操れると思い込み、暗殺者は自分の力に自信を抱き、時至れば官憲に一撃を加える瞬間をうかがう……畜生共には、儂らは正反対のことを教えてきたが、目立つ護衛策が如何なる結果をもたらしたかを、事実そのものによってとくと見ることができたのじゃ。

 儂らは、犯罪者とあれば根拠が十分であろうと不十分であろうと、まず逮捕するのじゃ。万一間違えるといけぬということで、政治的堕落や犯罪を犯した疑わしき者に逃亡の機会を与えるとは、とんでもないことなのじゃ。政治犯の場合は、文字通り峻厳でなければならぬ。単純犯罪で動機の再審議を許可し、特別扱いをすることが可能な場合でも、特権を持った者の他には何びとといえども事件に介入する口実は存在せぬ……すべての政府が真実の政治を理解するものではないのじゃ。

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