2003年04月14日
意味への意志
最近いけないなぁと思ったのは、死にたいと思っている人達がインターネットで呼び合って、自死するという事件が相次いでる。
V.E.フランクルさん。アウシュビッツで過ごした精神科医。彼の物言いは凄く説得がある。アウシュビッツではどんなタイプの人が生き残っているのか。「夜と霧」ではドイツ人を責めきれないことがある。アウシュビッツでは「死を英雄視させない」
「小さな目標を持って生きたとき人間はものすごく脆くなる。」クリスマス12月25日に連合軍がやってきて解放されるという噂を信じた人は、これが目標となる。この日に連合軍がこないと落胆して死んでしまう。ではどんな人が生き延びたのか。それは「ユーモア」のある人。アウシュビッツで1日1個の最高の冗談を考えようとした人。人間はこれだけで生き延びることがきます。
フランクルさんは、あまりヒットラーをののしらないから、ハリウッドあたりからも煙たがられている。アウシュビッツで出会った老婦人。「私ねえ、フランクル先生。ヒットラーには感謝しておりますのよ。私、あのままウィーンで過ごしていたら、相当高慢ちきなおばあちゃんで憎まれて、つまらない人生の閉じ方をしたと思いますの。私、アウシュビッツに来たおかげですばらしい発見をしましたの。それは人間の幸せな死に方は物によって守られるということではありませんの。私、アウシュビッツで天国を見つけましたの。」そして、収容所に立っている一本の木を指さして「ほら、あそこに永遠が立っている。」
いま、虚しさが全人類を覆い尽くそうとしている。虚しさ故に死を選ぶ人が激増するだろう。「虚しさ」が戦争以上の勢いで人を殺している。人間は「意味」を求める生き物。「意味」さえあれば生きて行ける。
個人で幸せを追求する生き方への疑問。「自己実現」を追求する人で「自己実現」を実現した人を見たことがない。科学的な人生論が人生の虚しさに拍車をかけている。こういう人達は同じ行動が見られる。攻撃・退行・気晴らし傾向・逃避反応。
幸せは目差したとたん逃げてゆきます。これを性にたとえている。性的な絶頂感を目差してゆくと、性的快感はとたんに逃げてゆきます。「テクニック」化した性は快感とは無縁になって行く。仕合わせとは無縁。目的を王が故に目的を逃してしまう虚しさ。「どの人と性を結びたいのか」「どんな仕合わせがなりたいのか」本当に好きな人がいれば性のテクニックなんていらないもん。その人がにこっとしてくれるだけで堪らない絶頂感を感じますもんね。
人生において重要なのは出来事に意味を与えることではなく、意味を見つけることだ。人間は意味への意志によって人間になる。創造・体験・態度によって人間になる。全てを受け入れそこにいるという態度に意味を見つけたとき、其処にいるだけで、その人に意味がある。価値がある。
仕合わせ・安心・満足を「外」に求めると逃げてゆく。「内」自分自身にむけなきゃ。水の流れに手を突っ込んでつかもうとする人が多い。その手を広げて水の流れを感じなきゃ。
「時間論」砂時計を見つめる人間。くびれのところが現在。おまえが目差すべき未来は「過去」の中にあるのじゃないか。私達は未来の中にある「過去」を目差してゆくのですよ。「過去」は保管され誰も奪うことができない。
人間は自ら問うて自ら答える生き物。自らの答えしか自らを納得させる事ができない。人間はそのようにつくられている。
人生に聞くな。答えなさい。
Source
意味への意志
ヴィクトール・E. フランクル (著), Viktor E. Frankl (原著), 山田 邦男 (翻訳)
Amazonの「MARC」データベースより
身体にも心理にも還元されない人間精神の本質を論じた「意味への意思」「時間と責任」「ロゴスと実存」「科学の多元論と人間の統一性」の4論考を収録。
夜と霧 新版
ヴィクトール・E・フランクル (著), 池田 香代子 (翻訳)
Amazonの「MARC」データベースより
心理学者、強制収容所を体験する-。飾りのないこの原題から、永遠のロングセラーは生まれた。原著の改訂版である1977年版にもとづき、新たな訳者で新編集。人間の偉大と悲惨をあますところなく描く。
夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録
V.E.フランクル (著), 霜山 徳爾 (翻訳)
Amazonのレビューより
この本を読んで勇気が湧き、よりよく生きたいと願えるなら、苦悩の先にきっと光が見えてくる。そして、時代や背景を超え、どんな苦悩や困難にも答えていると感じられるところが、この本の素晴らしさだと思う。
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