2003年04月21日

蛍の光窓の外

我が家への帰り道、あたりは宵闇。あたりを見上げるとアパートのベランダにいくつもの「蛍の光」。ああ、これを見たときに胸がきゅんと痛む。部屋でたばこを吸えないお父さんが点々と。「蛍の光、窓の外」。ベランダで寂しく光源氏蛍ならぬ、「親父蛍」

そのときに、「昔は良かった」親父はばんばんすってましたが、親父は良かったのか。親父は家の中で「不機嫌な顔をする以外に表情を作るしかなかった。」どうも、日本の「おやじ」というのはとてつもなく孤独な存在だったのでは。

日本は殿様のできが良くなかったら、家臣団がよってたかって殺す。大事なのは「お家」。日本人にとってえらいのは「男」ではない。「男」代表している「家」が大事だった。日本の男はだいたい昔から「蛍族」

強い親父の例を挙げてみようか。西郷隆盛・大石内蔵助・楠木正成。みーんな息子殺してますよね。一家離散で郷里に住めなくなるようなことしてますよね。

「悲しいお父さん」というのは日本の文化。韓国・フィリピンは一族郎党で汚職をやる国。一族だけで国家財政の半分くらいを食っちゃう。あんまり強いお父さんの家族中心主義の文化は国そのものを進まなくさせちゃう。共産国家でありながら、国そのものを息子に遺産相続するような国さえある。これらの国が不幸なのは、日本での「できの悪い殿様を家臣団がよってたかって殺す」なんてことがないから。これは今でもありますよね。会社で言うと「取締役の反乱」。銀座のママに入れ込んだ社長を重役団が引きずりおろすなんてことが。

アメリカも強い父権の国。あんまりいいことをやっていない。アメリカンファーザーをまねして強い父権を演じると必ず息子と対立する。キリスト教の影響。強い父権は神の代理。マイケルジャクソンなんか哀れなもんだよ。「僕はピーターパンだよ」だって。はっきり断言できることは、ドメスティックバイオレンス。アメリカでは強すぎる父性が暴れるとこうなる。一神教の不幸。

日本では一神教は成立しない。母性中心の多神教。

北米先住民「ジョシュア族」の創世神話。がむしゃらにがんばる神「コラワシ」いろいろ創造を試みるがことごとく失敗する。一方、たばこを吸う名前のない神様。煙から女性がふっと生まれてその女性と神様が混じって16の部族が生まれる話し。『煙草をすう態度』まで無くしてしまうと、それは人間の  たましいには悪いのでは」「正しいことをしようとやっきになって努力し過ぎると  大切なものが失われてしまう。」
アメリカの禁煙運動の比率と少年犯罪の比率が同じように動いている。正しいことをヒステリックに叫ぶのは、もっと悪いことを呼び込むのでは。

ピーターパンのラスト。ネバーランドから帰ってくる。帰ってきたウェンディを父母が抱きしめる。その窓の外に一人ピーターパンが立っている。ピーターパンは窓の中に入れないんですよ。

(2003/04/21~25 放送)

Source

cover ピーター・パンとウェンディ 福音館文庫
J.M. バリー (著), James Matthew Barrie (原著), F.D. Bedford (原著), 石井 桃子 (翻訳), F.D. ベッドフォード

「MARC」データベースより
ある夜、ピーター・パンに誘われて、ウェンディたちはネヴァーランドへ飛び立ちます。妖精、海賊、人食いワニ、それに人魚…。大人にならない少年ピーターと一緒に、わくわくする冒険が始まります。再刊。

cover 日本語のこころ―’00年版ベスト・エッセイ集
日本エッセイストクラブ (編集)

「BOOK」データベースより
非論理的にみえる日本語の表現にこめられた日本人特有の心づかいを解き明かす表題作をはじめエッセイの楽しみ満載の珠玉の61篇。
目次
下地と原点(『五つ木の子守歌』(樽谷浩子)
煙草をすう男(河合隼雄)
無常とカメラ(山崎正和) ほか)
日本語のこころ(淀川長治の話芸(岡田喜一郎)
過去と未来を償い終わりぬ(糸見偲)
電子ペット供養(立川昭二) ほか)
バステリカの幻の栗の樹(スピーチ・乾杯(矢田部厚彦)
電気泥棒同盟(香山リカ)
「天」か、「大賞」か(塩田丸男) ほか)
富士山のうらおもて(空家探偵(池内紀)
背のびの文化史(加藤秀俊)
楽天家と厭世家(小此木啓吾) ほか)

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