2003年06月16日

猿田彦のなぞ

猿田彦
南九州、日向・薩摩・大隅での旅で不思議なこと。「弥五郎どん」2~3mの鼻の高い天狗のような道祖神。このまちは、果たして日本なのか?との思いに囚われる。「弥五郎どん」は遠い昔、異国の人が辿り着いた印象を映したのではないか。その人はメソポタミアの人ではないか?

日本書紀で不思議な人に出会う。天の八街でであう天孫、異形の猿田彦。天宇受賣命(アメノウヅメノミコト)が猿田彦に喧嘩を売る。猿田彦は天孫族を日の本、日本に案内する。猿田彦には八咫烏(ヤタガラス)と言う子分がいる。これが今のJリーグのマーク。

朝鮮半島あるいは中国に優秀な民族がいてこれが日本に移ってきて日本の支配権を握ったんだろう。日本の教科書には「渡来人」とある。地名にも残っていて「奈良」は朝鮮語。クンナラ(百済)からきている。

とっても奇妙なことが起こったんですよ。弥生の起源がさらに古く。「秦」の時代よりもさらに古い時代に北部九州では稲作が始まっている。紀元前10世紀にすでに鉄器がある。ところがこの時代中国にもろくな鉄器がない。

ここで武田さんはここからはウソだと思って聞いてくださいと断る。 どうも、日本は、藤村さんていうひとが旧石器でウソばっかりついたので、みんな困っている。三内丸山あたりからも中国よりも古い稲が出てきている。これは日本は中国のおこぼれをいただいて発展したという歴史観が覆る。中国の学者からは反発を受けている。どうも、ニニギノミコトが大陸からやってくる前に、日本にはとっくに神様がいた。これが「猿田彦」ではないか。その顔は日本人離れしている。ではどこから来たのか。

天狗様の特徴。鼻が高い、がたいがいい、空を飛ぶ、山に住む。天狗の○○という何かがある場所には必ず岩がある。岩をご神体と思うような宗教の流れがある。それは、古代ユダヤ教。神が岩を祭るなら手を加えてはならないとモーゼにいう。日本でも全く同じご神体の岩には全く手を加えない。

猿田彦はヘブライの文化もってやってきた人ではないかという仮説。

「秦氏」はどこから
東アジアの歴史を考えるとき中国・朝鮮・日本だけで考えることに限界が来ている。秦とは遠くから来たというような意味でつかったらしい。これは、仮説。本人達は中国・朝鮮も「中継地点」だという意味だったのではないか。

日本の田舎を歩いていると変わった地名に出会う。多胡郡、甘楽郡とか。渡来人に由来するのではないか。秦一族と仲良かったのが聖徳太子。聖徳太子の伝説。馬小屋で生まれた人が聖人になる。似たような人が西の方にもいますよね。星のマーク。秦一族は滅ぼされたキリスト教の一派「ネストリウス派」ではなかったのか。

中央アジア イリ川沿岸クルジアにネストリウス派が相当いたらしい。そこにある山が「テングリ山」そこにも入れなくなった人々が秦の始皇帝に仕えて万里の長城を始め土木建築で活躍するが、もっとも役立ったところでまた迫害を受ける。「焚書坑儒」書物を焼き儒学者を穴に埋めて殺した。日本は応神天皇の時に18670人の渡来人を受け入れている。

ザビエル以前に日本にはキリスト教が伝わっていたのではないか。和同4年。多胡郡に謎の石組みがある。その文中に羊太夫という若者が出てくる。でも、この時代日本には羊がいないはず。誰かが持ち込んだ。またこの石にはJNRIのアルファベットとおぼしき文字が刻まれている。この字にそっくりなものが中世のキリスト絵画に刻まれている。日本語に最も近い読み方をすると「イナリ」「稲荷」の主神は「猿田彦」

見事な循環形式!映画「猿の惑星」みたい!武田さんの語りの妙はこういうところで発揮されるともう抜群です。

(2003/06/16~20 放送)

Source

cover 猿田彦と秦氏の謎
―伊勢大神・秀真伝・ダビデの影
清川 理一郎 (著)

Amazonの「MARC」データベースより
出雲神族の祖先神猿田彦大神を祀る神社は多く、信仰の裾野は広い。だが、「記紀」は、真の姿を抹殺したうえ、闇のなかに葬った。今、その復権・復活が古代史像を変える。

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