2003年07月07日

発見されていない事は見えない

県道のたび

沖永良部島・奄美大島・三線から三味線を透かしてみる

足かけ3年、地方巡りコンサートの旅。聞いている人からは活字にして残さないかというリクエスト。
これがきっかけで後に地方を回った感想をまとめた本を出版されます。
南方熊楠。粘菌は鉱物-植物-生物を輪廻で生きている。この人は自費で世界一周。アルバイトしながら旅に旅を繋いでいく。メキシコの山の中で新種の粘菌を発見し、ネイチャー誌に投稿し、イギリスで大評判。その後、紀州にかえって近くの池でなんとメキシコで発見した新種の粘菌がいっぱいいることに気づいてしまう。

発見されていないことは見えないんですよ。

東京の四ッ谷の駅前になんとユリの木の名所がある。迎賓館前の並木が全部ユリの木。在京30年以上全く気づかなかった。

沖縄の伊江島の話に続き。 沖永良部島から この年になって沖縄から鹿児島に連なる島の順序がやっと解った。島づたいに行くと一つ一つ個性があって。ガジュマルの木がある小学校の銅像:「塩汲む母」頭に木桶を乗せてる母。美しいなぁと思いましたねぇ。この島は鍾乳洞群を島全体に持っていて水に困ったことがない。観光に力を入れていないので愛想がよくない。百合の球根を出荷して生きている。ここは鹿児島県で、もう鹿児島のにおいがする。ここでは三線を水牛のでっかいピックで弾く。山羊汁。雄の山羊、童貞。これを身体に入れるとポッポしてくる。

奄美大島。熱帯は影を潜め、風が涼しい感じ。博多の冬風に似た感じ。島に勤めていた先生を送る場所に出くわす。民謡歌手の築地俊造さん。奄美三線(さんしん)で島唄。ここでは削ったへらのようなピックで弾く。また奏法が変わる。奄美では掻き上げながら演奏する。もうここに津軽三味線の奏法がある。「(はじめ)ちとせ」みたいだなぁ。というと、「(はじめ)は私の弟子です。」

奄美の人達の名前。皆さん姓が一文字。(残虐な薩摩藩支配の名残。)

奄美の島唄は薩摩に対する怒りが込められている。薩摩の人達に解らないようにこっそり 「かしゅてん しゅやてん たがためなっど やまとしゃんぎりゃ ためどなりゆ」 働いても働いても少しも楽にならない暮らし。ああ、誰のために働いているのか。 薩摩のあのちょんまげを結った奴らのためになるのさ。

ずきっと来たのは、「西郷さんの唄はありませんか」と聞くと、「あるはずがありません。日本史の中では英雄でも西郷隆盛でさえ此島に来ればただの「やまとしゃんぎり」です。一曲も歌は残っていない。ここに奄美の意地を感じる。薩摩の徹底した島差別で一文字の姓しか与えなかった。一文字で解る名前にくくりつけて。

県道から見えてくる21世紀もあるのではないか。

三線は黒潮に載って「堺」の港に辿り着く。ここではやっていた琵琶のばちでたたいた。これが(北前船で)津軽に渡りじょんがらになった。

(2003/07/07~11 放送)

Source

cover とーとがなし
築地俊造

 奄美大島の島うたはブルースだ!伝統の重さと改新の魂。奄美民謡界の頂点、築地俊造渾身の、その長いキャリアで初となる本格的なスタジオ録音作!

cover 鄙の道をゆく
―君の住む町へ 集英社be文庫
武田 鉄矢 (著)

Amazonの出版社/著者からの内容紹介
あの金八先生が君の町へやってきた! 3年間でめぐった土地は181箇所。都会ではなく小さな町村での一期一会の人とのふれあい。東京に住みついて30年、忘れていた子供のころの郷愁、懐かしいあのころを思い出す、トーク&ライブの心の旅日記。

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