2003年11月24日

ことばのちから「和歌」

今週は和歌を取り上げてみます。
新聞で見かけた短歌です。新しい言葉の使い手・担い手を紹介。
武田さんの読みが素敵なので、ここでは原文が特定できたもの以外は変換された表記で書きます。
加藤 治郎 ニュー・エクリプス

 明るいと体操しているみたいだよ変変とても春の淡雪
これはSEXの場面。
 すでにもう遠くが光る波のよう入っているよと囁きあって
すごく色っぽいですよね
 とりどりの変で汚い言の葉を書き連ね文具売り場を去りぬ
梶井基次郎の「檸檬」を思い出させるような
 ここにいてどこにもいない生き物の痙攣起こす携帯電話
ホテルのテーブルでブーンと回転している携帯電話
 人の声する小さな棺皆持ちて電車は夜の三河を走る
携帯電話を「人の声する小さな棺」と表現
 少し遅れて目覚めた朝は雨模様あなたの寝癖のJに微笑む
Jって、髪の毛がぴんと立っている様子なんだね。 言葉のおもしろさ。力のためには面白くなければだめだよねぇ。

これは、上の句だけしかメモってこなかったけど、ラーメン屋に入って頼んだものが来なかった時。

 ワンタン麺ワンタン麺と言っただろう
筆者の怒りがありありと伝わってくる。筆者の空腹、コミュニケーションの難度の高さ。聞き間違えた店員への怒り。
武田さんの読み方がホントにイイ! 自分の理屈っぽい歌がホントにイヤになった。

沢木光太郎 無名 より お父さんの俳句

 手に茘枝異邦の女を見るごとく
 その肩の無頼の陰や懐手
晩年にお父さんが詠んだ俳句
 この道の続く限りのコスモスぞ
寂しくて華やかな、芭蕉蕪村に負けない
  沢木さんは横に広がると言うより深く入っていく文章。 親子ってこうも文章も似るのか。 才能は親からたっぷりもらっているですねぇ。

加藤治郎にもどる
こんな言葉まで歌になるのかという

 イソジンの渦に見知らぬ地形図が消えてゆく也されば眠らん
 凹みやすいビールの缶は切なくて邪悪になれば楽しかろうに
 しばしばも嬰児の足は動きたりフロアーの隅の造山活動
情景を見る目が確か
 燦々と駅までの道連れだってゆくとき足が揃うのは変
 銀輪の東洋乙女が列をなす前と後ろで声を交わせり
 ポンポンとズックの靴をはき直す33年前の少年
ビン・ラディンが「日本は原爆を落とされただろう。一緒にアメリカに対抗しよう」というテロの呼びかけに対して
 裂けそうな真っ青な空棒立ちの俺は一人の広島なのだ
 遠景に昭和を見れば
そんな歌を作ってみたい。10年前に過ぎ去った昭和の歌をつくんなキャ。 自分がランニングシャツに短パン穿いて膝っ小僧に赤チンだらけで、ひばりのマドロスさんが流れる夕暮れを、カレーライスの匂いに向かってまっすぐ走ってゆく。 突然、武田さんが語り出した情景描写。ありありと情景が目の前に浮かんできて、これこそがホントの言葉の力。語られてこそ力を持つ言葉の力だと実感した。
 キミが右手を差し出したとき握り替えしたぼくの手左味方になるって約束じゃないこうした方が暖かいでしょ

(2003/11/24~28 放送)

Source

cover ニュー・エクリプス―歌集 (単行本)
加藤 治郎

Amazonの「MARC」データベースより
つややかな水を出しあうおたがいのいたるところがゆるされていて つるつるとアンメルツ塗る足くびはつめたくてまた汀にきている 1998年から2002年にかけて詠んだ350首を収めた第5歌集。

cover 無名 (文庫)
沢木 耕太郎

Amazonの「BOOK」データベースより
一合の酒と一冊の本があれば、それが最高の贅沢。そんな父が、ある夏の終わりに脳の出血のため入院した。混濁してゆく意識、肺炎の併発、抗生物質の投与、そして在宅看護。病床の父を見守りながら、息子は無数の記憶を掘り起こし、その無名の人生の軌跡を辿る―。生きて死ぬことの厳粛な営みを、静謐な筆致で描ききった沢木作品の到達点。

cover 檸檬 (文庫)
梶井 基次郎

Amazonの「BOOK」データベースより
胸を病み憂鬱な心をかかえて街を浮浪していた「私」は、ふと足を停めた果物屋で檸檬を買った。その冷たさと香りは、突然「私」を幸福感で満たし…。自らも病に苦しみながら、透明感あふれる珠玉の作品を遺した著者の、代表作「檸檬」ほか12編を収録。

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