2005年02月14日

私の体は頭がいい その3

結局は「美」にたどりつかなくちゃ。スポーツ選手崩れって最悪じゃんか。人生に武術は反映しなきゃいけない。自分の人生を美しくするために始めたんだろ。現役やめたらボロボロってのは本来スポーツが目指すことではない。

能の舞というのは私たちを引きつける。緩慢な舞なのにあのすり足の内に大量のエネルギーが含まれている事を感じさせる。ハイスピードカメラでみたクラウチングスタートの選手は美しい。あの一歩を踏み出すために何をしたんだろうと。どれだけの練習量があの一歩に込められているかと思うと、私たちは沈黙せざるを得ない。

美しいものは何か「響きである」
感情と響きあい。これほども細かい微細音。響きは幾つもから出てくる。自分のからだをいくつにも割っている。自分の体に亀裂が走りいろんな部分が変わってくる。ずれ・温度差・密度・時間差そこから美が生まれる。

美を「快感」に置き換えてみるとわかりやすい。それは「男女のずれ」ですよ。温度差・時間差。いわゆる「腰を使う」てことでしょ。あんまり動かれちゃイヤになることがある(笑)。完璧にあっちゃうとつまんないじゃない。男女がほんのちょっとずれる。時間差が大事。同時に動いちゃうとダメ。我を忘れた、ハーモニー。ソロをやりたがる人がいるよな。ばっかじゃないの「きもちいい」とか聴くやつがいるよな。

肉体が自動的に動いてしまう。武道は話を通したところでも通じてしまう。生きるということは響きを発し響きを聴く。ハーモニー自分の声を聴きながら相手の声も聴かないとハーモニーは出せない。

ここで話題を変えて、「殺気を感じる能力」が人間から落ちているんじゃないか。
金八先生のロケで夜中になることがあるんだけど、夜中の住宅街で煌々と明かりを炊いてロケやってる。夜にジョギングをやってる人が結構いらっしゃって、その明かりの中に入ってきて初めて気づくような人が多い。「えっ?何かやってるの?」殺気というか、「なんか変だ」ということに気づくという能力が落ちている人が何人も来る。日々の異変に気づく能力が極端に落ちている。

スマトラ沖の地震。タイの海岸で観光客を象に乗っける仕事をやってるんだけど、そこの象は津波の40分前に全員逃げ出した。結局その象はみんな助かった。人間は以上や異変を察する能力が落ちている。リゾートや開発地で珊瑚礁やマングローブをなくしたところの被害が大きかった。

再び話題を変えて「エデンから」
紀元前の殺人事件を取り上げようか。イブがタブーを犯したところから人間=ユダヤ教を信じる人の歴史が始まった。カインとアベル男の子兄弟。神へ定期的な貢ぎ物。神はカインをえこひいき。アベルとその供物はよろこんだ。カインとその供物を喜ばなかった。最初の殺人。
「復習するは我(=神)にあり」つまり、人間は復讐なんかしちゃいけない。
これを気取っているのはアメリカのブッシュ。

(2005/02/14~18 放送)

Source

cover 私の身体は頭がいい―非中枢的身体論
内田 樹 (著)

Amazonの「BOOK」データベースより
いま武道が熱い!日本最強“運”武道家の痛快エッセイ。武術とは、人間が本来もっている可能性を開花させて「よりよく生きるための技術」である。レヴィナスの研究者でもある著者の永年の修業に裏づけられた「身体の思想」。

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