2005年06月06日
司馬遼太郎を語る
司馬遼太郎記念館の館長さん(なんとその館長さんが司馬さんの弟さん)から頼まれて、講演することになったんです。最初は断ってたんですよ。だって、私が司馬さんの話をしても聴いているかたの方が、司馬遼太郎作品についてはなにを話してもみんなご存じで私は太刀打ちできないわけです。
そこで、どうしてもと言うことで、司馬という人生の道具、あるいは人生の飲み薬が いかに効いたかという話をすることにしたんです。これは記念館の方も「初めて聴いた。」っておっしゃってました。その話は実は19歳の時にこれは一生人には話すまいと決めたことだったんですね。その話もした。
ふつう文学作品を読んでもせいぜい「感動した」ッてなくらいでしょ。でも、司馬作品は「今からどうしよう」が決まる。まるで、風邪の時に、葛根湯を飲んだら体が温まるというような効き目がある。司馬遼太郎は道具。手にすれば風景が移せる人物が写せる。磁石にも使える。もて方、女の子に振られ方。
18歳の夏の終わり、受かる大学がないと言うことがはっきりしたんですね、ということで、勉強は年あけてからやろうと。勉強やるに早すぎる秋から冬。「竜馬がゆく 立志編」。全5巻。これを読み始めた。読み終わるのが12月25日。読み終わってクリスマスの夜を闇の中で泣き続けた。顔を上げたときに世界は全部変わっておりました。数ヶ月間何をしていたか全く覚えていません。とにかく読んでいた。このときの龍馬の年齢が18歳。
家族関係、うちと同じだ。俺と似たようなやつだと思う。龍馬はぐんぐん英雄になっていく。自分が欲しかった言葉の真芯を突いて響く。年が明けて、人が変わったように朝の7時から夜の9時まで勉強する。私の部屋に龍馬の写真が貼ってありまして、「鰯の頭も信心やから。」といってお袋がご飯を上げ始めた。
ということで大学で子分を集めて 俺をな今日から龍馬と呼べ グループの名前を海援隊。そして龍馬と夢の中で会う。夢の中で 龍馬が殺されたその場に居合わせた。
次になんかやらなきゃならん。これが脱藩。我々も上京するぞと。そして一発当てるんですが、あとは全然ダメ。でも「27歳になったら俺にもすごいことが起きる。」と意味もなく信じていた。坂本龍馬が勝海舟にあったのが27歳。そしたらくるんです!(笑)。山田洋次という名の勝海舟が。赤坂で呼ばれた。その台本には
主演・高倉健・倍賞智恵子
桃井かおり・武田鉄矢・渥美清
そう「幸せの黄色いハンカチ」なんですね。これは不思議な不思議な思いこみ。司馬さんの思いこみが営々と体の中にあって赤坂のテレビ局で今でも「坂本」って言う名の先生役をやらせてもらっている。金八先生ですよね
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