2005年08月08日
女は何を欲望するか
内田 樹さんの哲学の本。この人の本には何ページかに一つぎくっとする言葉がある。
先日、文化放送で通りがかりの「水谷加奈」アナウンサーの腰を拳でからかいがてらおしたら、それはセクハラだと冷たく言い放たれた。なぜ加奈は「セクハラ」と言ったのか。
加奈の反乱
なぜ彼女はセクハラと言ったか。2ヶ月考えましたね。水谷加奈、彼女は 女子アナウンサー。でもこれは奇妙な呼び名ですよね。「女子」をつける意味がない。これは「女子」を女としての利点を生かし生きていくという性戦略であると。そして「女子アナ」はいいポジションにつけている。女子アナの社会進出。
6月から始まった相撲部屋のごたごた。彼の奥さん=やはり元女子アナ。そして方や元スッチー。見事な性戦略です。
フェミニズム運動というのは女性が父権的制度に挑む。
より高い賃金
より高い地位
より多くの情報
より多くの権力
「中ピ連」ピンクのヘルメットをかぶって街角で嬌声を上げていた。
それに対して男は、言い訳。
吉田拓郎なんか男の言い訳の人でしょ。
「一緒になれないからと言って、愛していなかったなんていわれるのは とてもー困るんだぁ」ってな歌 これは「ヤリ逃げの歌」ですよねぇ。
女性の立場で男性社会を切って捨てる:「フェミニズム運動」
たまたま文部省横の道ばたの屋台でコップ酒を飲んでる女性を見かけました。そして競馬場に女性たち。これはオヤジギャルつまり、女性が中年の男性と同じストレスを感じている。これがフェミニズムの成果か?男が独占しているはずの「なにか」を手に入れようとした瞬間、女性が父権的になってきた。これに女性が気がつき始めた。性の段差があるのか、これに女性が気づき始めた。
男と女は違う、男女平等なんて言うのは思想の振るいすぎだ。生身の男性女性をみつめなおさなくては。
男は謎を解こうとする知性
女に謎は解けない なぜなら 女性そのものが謎なのだ
「人間は他者に愛され承認され、他者の欲望の対象となることで生きられる。」
抜き身の刀を見るような言葉
セクハラって関係にはいると男女関係ってグチャグチャ。
ここで武田さんは奥さんの家庭での「言いぐさ」へと脱線して、奥さんの声まねで「ふーっ」とか「ムワォー」とかやって見せます。するとアシスタントの小川真由美さんが
「イリオモテヤマネコですね」と、つい、正直な感想を漏らしてしまいますが、武田さんは一転奥さんを庇って、そこまで言うこたぁないだろう!(笑)と怒鳴ってしまいます。愛してるんですね。やっぱり(^_-)
女性の目には男性は本質的なモノとして見える。が
男性には女性が非本質的なモノとして把握される。
男性は女性を見るときに「俺とは違う」と言うところに魅力を感じる。
女性は男性を見るときに「どこか私のお父と似てた。」と自分のどこかと似ている部分を見つけようとする。
男は自分とは違うモノに恋をする
女は自分に似た異性を求める
いい年こいた男ども、20年30年連れ添ったの妻を殺すと言う事件が起きている。
はっきり言っておきますが、男は体の中に自爆装置が付いている。これはいわゆる逆鱗と同じ。さわると爆発する。何もかもだめだと思ったときに男は自分でこの自爆スイッチを押してしまう。だから女性はこの点について心しておいた方がいい。
妻も子供も捨てて出家した西行のように、かつては、自爆装置を押さずに仏教界へ逃げる出家という道もあったが、いまはすべてが塞がれている。
男は自分に似てくる女が許せない。
女は自分と違う男が許せない「こんな人とは思わなかった。全然違った」
女性が女性としての言葉を持っていない。日本語は女性言葉がすごく豊か。なのに公式の言葉として使えない。
女性があらゆる事に抗議するときに仮想的として男性をあげない限り、女性自身は的がどこにいるかさえわからない。
男は女性形の言葉に飢えている。女が女の主語を持ち語る言葉。これを探そうとしている。
かつてはあった。日本文学の英知。
土佐日記...男のくせに女になって書く。
ところが日本文学にはこの逆がない。
女が男のふりをして書く。一例もない。
フロイトの「誘惑理論」
ヒステリー女性を診察していると、幼児期に父親から性的な辱めを受けたという告白
あまりにも多い、そして、あまりにも話が似ている。そこで患者の女性を調べたら 全部嘘だとわかる。何故同じような嘘をついたのか?
トラウマ=心の傷というのは 思い出すことのできない記憶。語ることもできない。
トラウマとはそれに当てはめる言葉のない記憶。
語ることのできない記憶であるが、それを語るには偽りの記憶で覆うことになる。
そして、それを語ることによってトラウマが消える。
何が起こったかを語りつつ物語化していく。それがうまくいけばトラウマが消える。
女は物語が必要。それには「女らしさ」が必要。これは性差別ではない。
Source
女は何を欲望するか?
内田 樹 (著)
Amazonのレビューより
『女は何を欲望するか?』という、フェミニストがみたら怒りそうなタイトルだけど、決して嫌味な本ではない。田嶋陽子のように世の中が悪いのはなんでもかんでも「男社会」のせいにするのは極端だけど、でも「男と女」の問題は、女が権力を奪取するだけじゃもちろん解決しない。この本はそういうことを丁寧かつ柔軟に語っていて、とてもおもしろかった。男であることが罪悪のような社会はおかしい。女がデタラメに既存の社会に異議申し立てをするのもおかしい。性差をなくそうとするフェミニストが、逆にそれを「こだわり」として差別を助長してる可能性すらあることが分かってしまった。「生き方を自分で決定する」というのはカッコはいいけど、でもやっぱり疲れるなぁという人、必読!
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