2005年09月09日
1.パリにおける「イタリアのオペラ」
巻頭言
このページは本来、私がCDを買うときの備忘録として始めたもので、いずれ携帯端末が普及して買い物をする場面でも参照できる時代がくるに違いないと、1998年頃から始めたものです。従って、文章はめちゃめちゃ(^_^;)わかる人だけにわかる内容で、その間に自分の持っているCDタイトルが並んでいるという具合。しかし文章の元ネタはあって、こちらのへたへた翻訳。
パリにおける「イタリアのオペラ」 (1645-60)
イタリア同様、16世紀フランスでも劇場では声楽と器楽を取混ぜて上演していた。 それは「ballet de cour バレ・ド・クール」(宮廷の舞踏)、として知られていて、その有名な例はJoyeuseによる" Ballet de la Royne"(1581)であった。 これは宮廷の娯楽であり、"Valois"ヴァロワ朝後期および"Bourbons"ブルボン前期で人気が高かった。 イタリアからのオペラの輸入は1640年代半ばに入るまでは本格化しなかった。 時に、王ルイ14世はまだ未成年者であった。彼の母は、摂政のイタリア人、枢機卿であり総理大臣のGiulio Mazariniに依頼した。 Mazarinはたびたび宮廷や彼の宮殿の中にイタリアオペラを上演しようと企てたが、あまりうまくいかなかったようだ。Mazarinは1661年に死去。 次にイタリアのオペラがパリで上演されるのは1811年まで待たねばならない。(Paisielloのオペラ)
以下はパリで上演されたとして知られているイタリアのオペラのすべてである。
Harmonia Mundi 901358/60
Harmonia Mundi 901175/78
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