2007年03月08日

炎の罪 最終回

面白い捜査協力。刑事の作文につきあうのは退屈なことではあったが、一つ一つ積み上げていく捜査の一端に関わっているという意識は、まだ世間知らずの若者にはある意味誇らしくもあった。

調書作成の段階で、TVなんかではよくあるような、刑事が証人や参考人に捜査の状況や様子をベラベラ喋るようなことは一切無かった。私も、捜査はどんな状況なのか、私の証言や実況見分は何のために行っているのかを知りたかったけど、聞いても答えてくれなかった。

まあ、それが当たり前だろう。刑事がふと漏らした言葉で捜査上の機密事項が漏れても困るだろうし。TVでは視聴者に対する事件や捜査の進行具合の説明を役者の会話という形を借りて行っているのだなと、納得した。

周りの状況から察するに、自分への疑いは晴れたようだし、そのことに気づいてから疑われていたのではないかと気づいたほどで、又それも面白かった。いよいよ、調書もできあがり、公判の日取りも決まったようだ。もしかしたら私も証人として出廷を要請されるかもしれないと刑事さんから言われた。

だが、それ以降新宿警察署からの呼び出しもなければ、刑事さんが訪ねてくることもなかった。下宿横の公園脇にパトカーが止まっていることもなくなった。


そうして数年。私は大学を卒業し、ある楽器工房へ弟子入りをした。世の中がバブルで浮かれていてたのだが、私は豊かになっていく日本では、富裕層がこうしたオーダーメイドな楽器を手にするのも普通のことになると、甘い考えを抱いていたのだった。


弟子入りして2年、事件のことなど完全に忘れ去って、ようやく覚え始めた仕事。道具の手入れと明日の準備、小物の仕上げなど、工房に夜遅くまで残って仕事をすることもよくあった。

このときに、小さな音でラジオをかけながら手元を白熱電球で照らして、小さな刃物で削りをしてゆく。ラジオは文化放送。落合恵子の「ちょっとまってMONDAY」日曜深夜でちょっとおとなの社会派(を気取った?)番組で、パーソナリティを含めて全員女性のスタッフで制作しているというのがウリだった。

「つぎは、冤罪事件のニュース。198*年、新宿区大久保で発生した、マンション火災事件で、放火の容疑で逮捕された**さんに、無罪判決が下りました。」

私の手が止まった。ラジオに聞き入る。
あの事件だ..無罪!?

冤罪?
このパーソナリティもおそらくスタッフも、送られてきたニュース原稿だけで、事件を判断し、警察の捜査を非難しているのであろう。薄っぺらな内容の批判コメントをパーソナリティがもっともらしく語って、数分後、「ではCMです」

CMの間、私は目が回る体験をした。本当に目の前のものが回ってみえる。
「じゃあ、あれはなんだったんだ?」
「あの、炎は何だったんだ?」
「私は何を見たのか?」
「見たものは、見えていたのか?」
「人一人死んだ。あの方の死は何になるのか?」

最初は大騒ぎではじまり、中弛み。そして空中でふっと消えてしまうのか。
世の中の事件ってこういう竜頭蛇尾なのか。

それじゃあこういう「あとテーマ」がぴったりだ。


※この事件がこのあとどうなったは知らない。
 調べてみようという気も起きていない。すみません。

※※冤罪 判決が確定しない限り冤罪とは言わない。
バブルの頃から、どうもパーソナリティで「言葉が全く響かない」そういう人が増えてきた。立て板に水のごとく喋るのに、言葉が全然届いてこない人。彼女はそんなパーソナリティの嚆矢でもあった。

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