2007年03月08日
炎の罪 その3
善意も心の傷になることがある
悪意も心を癒すことがある
興味は、好奇心は、これが一番厄介だ
テーマ曲
そのマンションの構造は最近建てられる普通のマンションとは違っていて、各住居に繋がる廊下がオープンエアになっていない。エレベータと階段のあるホールに各住居が扉で面しているだけの構造だ。ホールに面した窓はなかった。当時の新聞報道では「昔の基準で建てられた」とあったような気がする。
2階からの出火で階段を煙が伝った場合、逃げ場所は部屋のベランダしかなくなる。屋上の扉を開けようものなら、階段とホールが巨大な煙突と化して延焼を助長しかねない。消防隊は2階飲食店の消火とともに、各部屋に取り残された人の救出は外部から、はしご車で当たった。
そのときに、部屋のベランダから転落した人がいる。早朝で、まだ寝ているときに非常ベルで起こされる、廊下には煙が充満している、窓の外では大騒ぎ、気が動転したのに違いない。おそらく当時のマンションは火災時の避難訓練など皆無だったのだろう。状況が分かっていて落ち着いて救助を待てば落とさずにすんだ命だったのかもしれない。
灯台もと暗しとはよく言ったもので、当時の私はその後の進展については門外漢も同然だった。管理人さんが新しい人に替わったことも火事と結びつけて考えられなかった。知っていたことと言えば新聞記事になったことだけで、新聞もこの事件には早々に興味を失っていった。
そうして、数日がたち、新しい管理人さんとも顔見知りになった。大学のない土曜日には昼過ぎに集金に回ったりする。このときに一服している管理人さんと初めて話をした。
「前の管理人さんはどうしたんですか?」
あんた、知らないのかい?といった顔をされて
「これだよ。」と両の掌を結び、手首同士をくっつけてみせる。
「えっ!それじゃあ..」
「あの人が、あの店に油をまいて火をつけたんだな。」
「なぜ..」
ちょっと困った顔になって
「あのひと、ちょっとこれだったからなぁ」
と、右手の人差し指で自分の頭の上に輪を描いてみせる。。
火事そのものはボヤだった。火元は飲食店内だが、火の気のない場所だったという。警察は出火原因は放火との見方で、しかも結果として一人死亡者が出たことを重く受け止めたようだ。そして、放火の容疑者として当時の管理人さん(!)が逮捕されたのだった。
管理人室の前で立ち話をしていた私は呆然とした。管理人室の土間にあるコンロにかかっていたヤカンがピーと鳴って沸騰を知らせた。管理人さんはぱちんとコンロの火を切る。
...コンロの火を切る。
...火、火、火 だ。
管理人さんは急須にお湯を注いで、湯飲みに茶を注ぐ。私にも一杯すすめてくれた。
何が不自然だったか急に分かった。そう、管理人室は不自然だったのだ。
「火」だ。
毎朝、管理人室の前を通るときに私の目はいつも「火」を見ていたのだった。
意識に登ったこともある。ヤカンも何もかかっていないコンロに火だけがついている。管理人さんはいない。沸騰してピーピー鳴ってるヤカンがかけっぱなしになってたことも度々だった。
「そういうわけで、あの人はもう当分臭い飯を食うことになるだろうな」
と管理人さんが冗談ともつかない口調で、私を見て言った。
...見て..
そうだ、前の管理人さんは私を見てはいなかった。私の体か何か透けているかのように私を通して向こう側を見ていたのだった。
夕刊が終わって、買い食いしてると、カズがやってきた。カズの販売所は件のマンションの目と鼻の先だ。様々な情報が行き交っているらしい。カズの目はちょっと曇ったようだった。
私は少し不安に襲われてきた。
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