2007年03月09日
古典車内
昔、お小遣いでフィルムを買って、しかもフィルム代節約するために、「リコー オートハーフ」なんて、甘い写りが確約されたカメラで写真を撮ってた、そんな写真でも
今、すっごい重要!なんだ、この世界!
今、デジカメで「失敗作」を消しまくってるやつに告ぐ!
撮りまくれ!
消すな!
ぶれていようが、切れていようが、消すな!
30年後、自分がスゴイ世界に住んでたことを思い知るぞ!
1975年頃の山陽線下関口は80系電車の楽園だった。これは旧3等車。 車内の端2席がロングシートになってて、つり革がある。
この「3等車」の乗り心地の悪さにも驚く。長時間座ってるとホントに腰を痛める。
長時間の旅行には本当に立ち上がってやれやれと腰をたたくのが正解なのだ。
同じく80系電車の旧2等車。
この二つを見比べると、ちょっと座席が厚いだけで、2倍の運賃を取ってたのかと驚く。車内はリニューアルされる前で、オリジナルの木造内装が良い味を出している。
これは、1980年代篠ノ井線の松本駅に停車中の80系電車。車内はリニューアルされている。新系列の急行型列車に準じた内装になっている。座席は、旧2等車のままなので、こちらの方がデラックスな印象を受ける。
車内からホームを向いて撮影している。振り子式電車の嚆矢となった「しなの」、そしてその向こうには80系電車が留まっている。
1970年代日豊線の普通列車 オハフ33
この時代、新幹線に接続する前の日豊線の優等列車は専ら「長距離客」のためのものだった。現代の飛行機のような数百キロという距離を移動するような。
そして、100キロくらいまでの「中距離」の客は普通列車を利用していた。1~2時間に1本、荷物車を連結した10両くらいの長い編成の列車が走っていたのだった。
この写真でも、一駅二駅の利用者から大分から乗って小倉まで行くような客まで、いろいろ混ざっている。くわえ煙草のGサン、テンガロンハット(?)のアンちゃんとか。天井には白熱電灯。ドアは開け放しで風は入り放題。車内喫煙もOK。
70系電車。
御殿場線を走ってたものだと思う。走ってる最中に、何かの理由で..おそらくフィルムを交換するためにわずかに残ってる駒を消費したのだと思う。36枚撮フィルムでハーフカメラを使うと場合によっては80枚くらい撮影できたのだった。
車内はいわゆる近郊形配置の座席。スタンションポールが出入り口正面にあるのがとても印象に残っている。
1976年7月4日の日付があって、そこには下関駅で撮った写真がいくつかあった。たしか、国鉄大島航路が廃止になるというので、それを撮影しに行ったはずなのだが、肝心の船はほとんど撮れていない。
オハ41という、窓配置がちょっと変な車両の写真。
車内は超ロングシート。
オハ41はもとスロ51を格下げ改造 とのこと。
そうそう、見覚えがある。九州には全車グリーン車編成の宮崎行きの急行列車が新婚旅行向けに走っていたこともあったのだった。
その、大島航路の船内。客室は一方向を向いたベンチが並んでいる。
野上電鉄 20形
おそらく元阪神電鉄の車両。すっごくグレードの高い車両を手入れしないで使うとこうなるという見本みたいな車両だった。
この鉄道会社自体、訪れた当時はもはや、末期の状況でやる気のない経営のせいか、社員も利用客もなんだかすさんだ感じが漂っていて痛々しかった。
名鉄美濃町線 モ870
札幌市電から購入した連接車で、連接部分の通路の妻が丸くカットされていることからの連想で当時の鉄道ファンからは「中華料理店」という綽名が付けられた。
別府鉄道 ハフ7
重量記号なし。つまり2軸客車。当時は有名な明治生まれの現役古典客車だった。
「フ」ってのが「車掌室」という意味ではなく本来の「ブレーキ」という意味で使われている点も。そして、天井に注目! ダブルルーフだ。
この写真を撮っていつものカメラ店に現像を出したところ、店のおばちゃんから「いい写真を撮るようになったわね」といわれたのを今も覚えている。自分は全くそんなつもりはなくただの記録写真のつもりだったのだが..
岡山臨港鉄道 キハ7002
夕張鉄道から購入したキハ252で元は転換クロスシート。岡山では、向かい合わせに固定されていた。
大分交通 耶馬溪線 キハ600
これは現在紀州鉄道に譲渡されてていまでも乗りに行けるはず。紀州鉄道も新型車を導入したので出番は少なくなってると思うけど..
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