2007年09月05日
バッハの演歌「ゴールドベルク」
ゴールドベルク変奏曲はバッハの十八番と言っていい曲で、昔からピアニストの定番曲(といっても グレン・グールド録音のLPがヒットして以降ではあるが)だ。もちろんレコーディングを重ねるようなチェンバロ奏者は、必ず一度はこの曲の演奏を志す。
この曲の魅力はテーマ+30の変奏曲という構成にあるだろう。テーマの曲とほぼおなじ和声進行が延々と30回繰り返されるわけだ。しかも、バッハの憎いところはこのテーマ曲にはしっかりとした低音進行がある訳で、この低音進行がこの曲の一つの聞き所とも成っている。
さらに、現代的な魅力は全曲繰り返し指定を入れて演奏するとほぼ一時間前後となることでCD1枚をこの1曲で出すことが出来るわけだ。LP時代には裏返さなければ成らず、一旦そこでインタバルが生じた。そんなわけで重厚な演奏のカール・リヒターはなんとLP2枚組で出していたほどだ。
さらに、演奏会でもこの曲は一定の人気を保っている。繰り返しなしで一気に弾き通せば30分程度で収まる。指定通りに繰り返して一晩の演目とすることも出来る。
誰が聞いても、バッハに無知な者が何らかの状況で聴く羽目になっても、その時間を結果として楽しめる秘密がそこにあるのではないかと考える。その秘密とはこの曲の出自の伝説にすでに語られている。フォルケルのバッハ伝には、不眠に悩むカイザーリンク伯爵が、眠れぬ夜を慰める曲をバッハに依頼。バッハの弟子・ゴールドベルクが毎夜、伯爵の隣室で曲集の中から数曲を弾いたとある。
ロシアの在プロイセン大使だったカイザーリンク伯爵は、当時対外勢力を拡大しつつあったロシア・プロイセン両国の間に立って神経をすり減らす折衝役をしていたのかもしれない。今で言うストレス過剰のために不眠症に陥ったのだろう。いわば癒しの曲である。聴きながら寝てしまうこともあったかもしれないが、眠気を誘うためにこの曲を聴いたのでは無かろう。
曲は、きわめて理論的に構成されていてその仕組みを看破したのは、 渡邊順生 だ。彼は セシルレコードから極めて良好な録音と演奏のCDを出している。そのページにはゴールドベルクチャートとして、曲の構成がわかり易く表になっている。解りやすいだけではなく、曲全体の構成の奥深さも同時に感じられるようになっている。演奏ももちろん渡邊特有の構築感と、そう、なにか+αが感じられて他の演奏家にはない奥深い感動が伴う。
その奥深さとは何か..ずっとこれが解らないままだったが、先日奇跡のような体験と共に解けたような気がした。私は週に一回父をリハビリに送り迎えしている。ついでに私も母もセンターで一緒に運動をするのだ。その片道が約一時間。CDを1枚かけるにはちょうど良い時間だ。ほとんどの場合、クラシックには興味がない父はここで居眠りをしてしまう。しかし、ある日、渡邊のゴールドベルクをかけたときにそれは起きた。居眠りをしないのはそう珍しいことではないが第20変奏くらいになったときに、父はこの曲を口ずさんだのだった。もちろん初めて聴く曲なのに、である。
普段は演歌しか聴かない父が、ゴールドベルクを口ずさむとは!その時にはっと気づくものがあった。そう、ゴールドベルクを通して聴くと(弾くと)遠い旅に出ているような感じがすると渡邊はそのライナーノーツで書いているが、その遠い旅の感じは演歌に通じる何かがあるのではないか。
上野発の夜行列車 おりた時から 青森駅は雪の中
この20文字足らずの中で600キロを移動し、季節も感情もすっと入れ替わってしまう。そういう感じがあの次々に変奏曲が流れる曲がまさに走馬燈のように昔の記憶や距離や時間を飛び越えさせてくれるのではないか。そういう感じがした。まさに渡邊の演奏のこのゴールドベルクは奇跡の曲として私の記憶にとどまることになったのだ。
演歌には「こぶし」があろうもん。それはチェンバロでは何ったいね?
...そりゃぁ、「トリル」ばいね。
- J.S.バッハ
- ゴールドベルク変奏曲 BWV988
- 渡邊順生 チェンバロ(マルティン・スコヴロネック 1990)
- 録音:1998年2月4-6日 碧南市 エメラルドホール
- CECILE RECORD IMS 9802
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