2003年09月15日
明治座「金八先生」公演幕内話
先日話題にした 明治座「金八先生、夏休みの宿題」 の幕内話。2003年8月4日から44公演。私が座長で、舞台まで15段15段のつづら折りの階段を上がる、その部屋にいる。一公演あたり3回出があるので、この階段を3往復。これが一日二回。休みや一回公演の日もあるけど、44日間公演するとまあ5000段以上の階段を上り続けることになるわけですよ。一気に5000段登れっていってもできません。ここで同じ事を毎日繰り返す偉大さと言うことに気づくわけです。若い頃は毎日が違っていて毎日が冒険というのにあこがれるけど。
客席は前一列ほどしか見えません。でもそこでハンケチがふと助受けする様子を見るだけで、やったーという気持ちになれる。その人一人のために舞台をやろうという気になれる。「一人は一人のために」というマザーテレサの言葉。
盲導犬連れでいらっしゃったお客さんがいた。舞台で暴走族が暴れるシーンになると、その盲導犬がそっと立って、ご主人を連れ出そうとする。それをご主人が首のところをそっと押さえて、いいのよという感じでいる。とても感じ入ったのはその見知らぬ隣に座っている人が、盲導犬の背中をずっと撫でている。そのことを、別の公演の日に話したら、二階席からも「ここにもいらっしゃるわよ!」と声がかかった。本当に、そういう方に感謝します。
夢の中で僧侶が出てきて「後ろ姿には後ろ姿の隙がなければならない。」と俺に言う。そうか、俺は後ろ向きになっても背中で演技をしているところがあるから、それを諭されたのかと。
「わかりやすくする」と子供は聴こうとしない。わからないからいい。わかりやすくするとおかゆの味になってしまう。
「体がだんだんと透明になっていく」=「自我=役が自分を生きている」
「赤ずきんの話」 をすると大受けした。オオカミと赤ずきんちゃんは知り合いだった。だって、オオカミに向かって赤ずきんちゃんの方から声をかけているでしょ。「オオカミさんこんにちは。」って
毎日同じ事を繰り返す。それは声を割らないようにすることにつきる。ほんとうに朝起きたら今日もまた声が出ますように。張り切りすぎてはいけないと。
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